今昔

奥野幸道『丹沢今昔』を読了。

1983年に神戸の六甲山で山登りを覚え、翌年関東に戻ってきて最初に登った山が塔ノ岳。初めての雪山も塔ノ岳なら初アイゼンも丹沢主稜。さらに2000年にクライミングを始めて最初の岩場が広沢寺、初の沢登りもセドノ沢左俣。このように丹沢は私にとっても節目ごとに向き合う山でしたから、とても興味深く読みました。

著者は戦前から丹沢を中心に登山・沢登りに親しみ、戦後復員してからは丹沢の山と沢の魅力を広く紹介することに精力を傾けた方。その動機は、丹沢の山々(と、たぶん一緒に丹沢を歩き続けた彼女=復員後に結婚して奥様となる)への思いがシベリア抑留の厳しい数年間を耐える力になったことへの「恩返し」だったそうです。著者の努力は『ブルーガイドブックス丹沢』などのガイドブックとしてかたちになっていましたが、80歳を過ぎてから神奈川新聞の勧めにより同紙に連載した記事をまとめ、丹沢と関わり続けたご自身の60年間を振り返る章を加えて本にしたものが本書です。

表丹沢・東丹沢・西丹沢の50のエピソードからなる本書には「在りし日の丹沢」が貴重な写真と共に紹介されており、丹沢専業(?)というわけではない自分であっても郷愁をそそられます。さすが表丹沢では、菩提峠にはワンシーズンだけだがスキー場があったとか、戸沢出合から花立へロープウェイを架ける計画があったといった驚くようなエピソードが含まれていましたし、ダム建設によって湖底に沈む前の宮ヶ瀬や世附の姿も見られましたが、心惹かれるのはやはり西丹沢のいにしえの姿。原生林に覆われていた檜洞丸山頂や、林業集落が健在だった頃の地蔵平の写真はとりわけ貴重です。

丹沢の姿を大きく変えることになったきっかけのひとつは、昭和30年に開催された国民体育大会(国体)だったそう。このときに秘境と言われた西丹沢に登山道が整備され、その後のオーバーユースと複合要因によるブナ林の衰退・裸地化によって丹沢の姿が変わってしまったことを著者は「あとがき」で嘆いていますが、自分自身もガイドブックを著して人々を丹沢へ誘い続けたことを振り返って、次のように記しています。

わたしの愛する丹沢への想いが、結果として丹沢を泣かせることになってしまったのは、残念でならない。これからわたしは丹沢に何をしてあげればよいのだろうか、と思う毎日である。そして、丹沢がいつまでも変わらぬ姿を見せてくれるのを願うばかりである。

今は古書でしか入手できないようですが、それでも、この「あとがき」まで含めて、本書を丹沢を歩くすべての岳人にお勧めします。