膏肓

昨年末の「西丹」でも書いたように、このところ個人的に西丹沢愛が盛り上がっている状態。しかし何分現役の登山道が少ない山域だけに、この地域を縦横に歩こうと思えば、林班図を元に林業用径路を辿るか古い書籍を参照して廃道を地図上に浮かび上がらせる必要があります。

そこでまずは「日本の古本屋」にアクセスし「丹沢」で検索して引っかかった古そうな本を適当にチョイスして購入してみたのですが、それが上の写真の下段の四冊です。

  • 『丹沢の山と谷』山と溪谷社(1959年)
  • 『アルパインガイド 丹沢道志山塊・三ツ峠』山と溪谷社(1972年)
  • 『丹澤記』吉田喜久治(1983年)
  • 『丹沢今昔』奥野幸道(2004年)

『丹澤記』は著者の私的な丹沢とのつながりを独特の文体で気ままに綴ったものだったのでまぁいったん横に置いておきますが、『丹沢今昔』はタイトル通り「かつての丹沢」の諸相を各項目見開き2ページで回顧的に解説するもので、その筋では有名。山神径路関連では「ユーシン」、三ヶ瀬古道関連では「地蔵平」の在りし日の姿が貴重な写真を添えて紹介されていました。この本を私は古書として手に入れたのですが、表紙をめくってみたところ見返しの遊びの部分に著者のサインがあったのには驚きました。

これらの古書を斜め読みしてみて目下のところ気になっているのは、これまた「西丹」で書いた「大又(地蔵平)から水ノ木へ」という廃道歩きです。上記の『アルパインガイド 丹沢道志山塊・三ツ峠』にはこのルートが「富士見峠・降ママ戸峠越え」として紹介されており、そのグレードは★★=中級向。大又から水ノ木までの所要時間は2時間20分となっています。こうなると俄然やる気が出てきますが、そうは言っても現在の地形図上にはこの道が乗っているわけではなく、かと言って『アルパインガイド』に綴じ込まれた地図だけでは少々心許ないものがあります。

そこで手を出したのは過去の地形図です。国土地理院のサイトでは過去の地形図等をネット上で見られるようになっており、その中から欲しいと思うものについては謄写版の提供を依頼すると有償で送ってくれるサービスを行っています。このサービスを利用して入手した「中川(中川村)」と「御正体山(山伏峠)」の地形図を突き合わせれば、大又と水ノ木との間で人の往来が頻繁だったと思われる昭和20年代末の道の様子が一目瞭然です。

オレンジ色と黄色の線は地形図に自分で画像処理を加えたもので、黄色は三ヶ瀬古道の一部、オレンジ色が問題の大又・水ノ木間の道です。こうして特定できた道筋をスマートフォンのGPSソフトに覚えさせておけば、相当程度忠実に過去の道筋を辿ることができるだろうという目論見ですが、もちろんただでさえ崩れやすい丹沢のこと、一筋縄では行かないだろうとはあらかじめ覚悟しています。

ところで、確かに『丹沢今昔』は良い本なのですが、いかんせん限られた紙幅の中では情報量が限られてしまいます。たとえば大又集落の成り立ちから廃村までの変遷を知りたいと思うと同書だけではまるで太刀打ちできず、もっと掘り下げた歴史書に近い体裁のものが必要になってきます。それが、丹沢研究の基本書とも言うべきこの『山北町史』(通史・史料編4冊・別編2冊)です。

新松田駅から西丹沢ビジターセンターに向かうバスに乗ると駅前がよく整備されているのに周囲の街並みに活気がない(しかし日露戦争の頃には「足柄上郡の倫敦」と呼ばれて殷賑を極めたと言う)山北駅に立ち寄りますが、あの山北町(←失礼)が町村合併40周年記念事業として平成7年度から平成18年度までの期間をかけて行った山北町史編さん事業の成果が、これらの膨大な成果物です。

何も全巻手元に揃えなくても、国立国会図書館のサイトを通じて各巻の目次を確認し、その中からここはと思うページを選んで同館の遠隔複写サービスや都立中央図書館の郵送複写サービスを申し込めばコピーを送ってもらえるのですが、あの山北町(←……)がこれだけの事業を成し遂げたということに妙に感動してしまい、大枚をはたいて大人買いをすることにしました。

「病膏肓に入る」とはまさにこのこと。いったいいつ読むんだという話ですが、いずれ仕事をリタイアして時間が有り余るようになったときの楽しみができたと長期的視点で考えることにしています。