舟編

連休最後の日は、三浦しをんのヒット作を映画化した『舟を編む』を渋谷シネパレスに観に行きました。

京都で板前修業をしていた香具矢(宮﨑あおい)は、板前として一人前になる夢を追うため彼氏と別れ、高齢の祖母が一人で営む東京・本郷の下宿に移り住んだ。そこに10年来下宿している馬締(松田龍平)は、出版社で辞書「大渡海」の編纂に携わる口下手な男。達筆過ぎて解読不能の恋文を香具矢に送って香具矢を激怒させる不器用さを、しかし香具矢は温かく受け入れる。長期間にわたる辞書編纂作業に心血を注ぐ馬締を陰で支えながら、香具矢もまた板前としての独立を目指して修行を続ける。

と、宮﨑あおいさん中心にストーリーを再構築してみました。

……それはともかく、これはとてもよい映画でした。原作を読んでいないので映画がどれだけ独自色を出しているのか定かではないのですが、言葉のプロでありながら自分の気持ちを香具矢に伝えることもままならない馬締のキャラクターも危ういところで感情移入できる線を保っていますし、彼にとっての運命の女性となる香具矢にも自分の夢を追う芯の強さが与えられています。辞書の監修にあたる松本先生(加藤剛)の超然としていながらどこか突き抜けたおかしみのある人柄、チャラいようでいて面倒見が良くやるときはやる編集者・西岡(オダギリジョー)とその彼女で情報通の三好(池脇千鶴)、主人公の良き理解者で下宿の主人であるタケ(渡辺美佐子)などなど、どの登場人物にも個性があり、しかも好人物ばかり。随所に上品なユーモアが織り込まれていて映画館の中に笑いが広がりましたが、特にオダギリジョーは、一番おいしい役だったかもしれません。唯一憎まれ役を買って出た局長(鶴見辰吾)にも「いいところあるじゃないか」と思わせる場面を用意してあって、ほっとします。

主人公が感情表現の下手な男性という設定だけに、辞書編纂というメインストーリーの描写だけでは感情面での起伏がなく平板になりがちですが、そこにヤマ場を作るのは、馬締と香具矢の恋というサイドストーリーの中で読めない恋文を読まされて香具矢がキレる場面。巧みな作劇に感心してしまいます。キレた香具矢に迫られて馬締がしどろもどろになりながら、遂に覚悟を決めて「好きです」と告白すると、香具矢も「私も」。すると画面には……。

「恋」

ある人を好きになってしまい、寝ても覚めてもその人が頭から離れず、他のことが手につかなくなり、身悶えしたくなるような心の状態。

成就すれば、天にものぼる気持ちになる。

巧みと言えば、蝉の声や虫の音で季節感を出し、編纂作業が五十音順に「あ」から「ん」へと進むことでその進捗を示すなど、時間の経過の描写もスムーズです。しかし15年がかりの辞書編纂作業(そのため馬締は食道がんに罹った松本先生の存命中に辞書を完成させることができませんでした)とはさすがに想像を絶する世界で、映画の中でも途中の10年以上はすっ飛ばす形になっていますが、主人公二人は最初から最後まで若いまま。これも、辞書という書物の息の長さを示しているのか?と穿った見方を一応はしてみましたが、現実にはネット上にありとあらゆる知を無償で公開する動きが進んでいる中で、この物語の中でも局長が指摘していたように、辞書が商業ベースで成り立つのは厳しく、何か新たなビジネスモデルが必要となるのでしょう。しかしそれでも、こうした辞書のようにその時代の叡智を形に残して行くプロの仕事は必要であって、何でもオープンソース化が善であるとは私には思えないのですが。

なお、128ページにわたるパンフレットには、本作のキャストとスタッフの紹介のほか、ちょっとした辞書ガイド、撮影日誌、それにシナリオ丸ごとが収められていて読みごたえあり。この映画を観るのなら、必携です。