調性

作曲家・吉松隆氏の『調性で読み解くクラシック』を読了。先日読んだ『クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!』の延長線で、クラシック音楽において「調性」がどのような意味を持っているかを知りたいと思ったのがこの本を選んだ理由ですが、著者の吉松隆氏にも馴染みがあり、氏のピアノ曲は1997年にたまたま耳にしてからずっとフェイバリットであり続けているほか、氏が編曲した「Tarkus」オーケストラ版を聴きに行ったりもした仲(?)。

それはともかくこの本、たいへんに勉強になりました。もともとピアノなどを習ったことがないだけに、楽譜を読むのは得意ではなく、シャープは三つ(イ長調)までならなんとか鍵盤上に再現できても、フラットが二つ以上付いたらもうお手上げ。そもそもなんでシャープやフラットをわざわざたくさん付けなければならないんだよ(怒)、というのが読者たる私の基礎知識レベルでしたが、著者はあたかもそれを見越していたかのように、噛んで含めるような丁寧かつコンパクトな記述で音楽の歴史から説き起こします。まず、通常のドレミファソラシドは、中世ヨーロッパの普通の男性の声域の最低音をγ=Gとし、1オクターブ上までを12分割したときに真ん中にくるC音(ド)を合唱における基準音としたという説を紹介し、さらに音律(純正律や平均律)の話から対位法を経て和声法へ(この辺りはバッハ賛美本でも学んだところ)、そしてトリスタン和声から無調音楽の登場により西洋音楽の歴史がリセットされるに至るまでを手際よく解説してくれました。

そして、本の帯にあるように「『運命』はなぜハ短調で扉を叩くのか?」についての説明は、なるほどそういうことだったのかと目から鱗。

楽器にはそれぞれ得意・不得意の音があり、鍵盤楽器であれば一見すると白鍵だけの調(ハ長調・イ短調)が弾きやすそうに思えるものの、実は手の形の特性から技巧的なフレーズには黒鍵が混じっている方がよく、弦楽器は開放弦(ヴァイオリンなら完全5度間隔のGDAE)が生み出す自然倍音を活かせるシャープ系の調が鳴りやすい。管楽器の場合も菅の長さが基音を決めるという絶対的な制約があるために、木管楽器が鳴りやすい調、金管楽器が鳴りやすい調がそれぞれにあり、作曲家はこれらの楽器の特性を曲想にあてはめて調を選択するということだそうです。ただし、バロック時代までの音楽なら単に演奏しやすく鳴りやすい調が選択されていましたが、ロマン派の時代になって音楽に深みやドラマ性が求められるようになると、逆に弾きにくい、鳴りにくい調性をあえて選ぶことで音楽にテンションをもたらすということが行われました。

というわけで、ベートーヴェンの交響曲第5番〈運命〉第一楽章は、フラット三つのハ短調によって苦難に満ちた音を響かせ、これが荘厳な第四楽章でハ長調に解決されることで歓喜の感情をいや増すという効果を生み出すように設計されているというのが、著者の解説です。他にも、それぞれの調性の特徴とその調性を採用した名曲を紹介するコーナーが面白く、ヘ長調(フラット一つ)はホルン(F菅)が活躍するベートーヴェン交響曲第6番〈田園〉第一楽章、変イ長調(フラット四つ)や変ニ長調(フラット五つ)はショパンが黒鍵を駆使するために愛用、そしてフラット六つの変ト長調はさすがに使用例が少ないものの例外的な有名曲は「ねこふんじゃった」……など、この解説を読むたびにiTunesで紹介された曲を聴きたくなるほどでした。

さて、日頃接しているロックの世界ではどうか?本書でも、機能和声のI-IV-V-Iのカデンツに類似するものとしてブルース進行が紹介され、ブルーノート・スケールの解説も置かれていますが、調性の選択方針については書かれていません。試みにRushのアルバム『Hold Your Fire』冒頭の「Force Ten」をアナリーゼしてみると、イントロは調号なしのAマイナーでヴォーカルが入るところで転調して同主調のAメジャー(シャープ三つ)、さらにその平行調F#マイナーの同主調であるF#メジャー(シャープ五つ)に転調した後、Aマイナーに回帰するという構造です。

Rush R30 – Force Ten

高音部のダブルストップと開放A弦を組み合わせた特徴的なベースリフがこの調性を採用させているのだと思いますが、アルバム全体でも曲調にバラエティを持たせるためにそれぞれ異なる調性が採用され、さらに一曲の中で次々に転調が行われていて、この辺りがRushがプログレっぽいと言われる所以なのかと思います。Rushに限らず、弦楽器の開放弦(ベースギターなら普通は下からEADG)を活用したリフの組み立て、黒鍵を活かしたキーボードのフレーズ、管楽器が入っているバンドならその楽器の特性など、さまざまな要素で調性が選択されるのでしょう。

これらは積極的に調性を選択する場合の話ですが、私のように長年同じバンドのファンを続けていると、ヴォーカルの声域の変化(経年劣化とも言う)による調性の変更という事態に直面することも少なくありません。同じ曲でも若かりし頃の高さを出せないヴォーカリストのために全楽器がキーを半音ないし一音下げて(そのためにチューニングの違う楽器に持ち替えて)、演奏者と聴衆の双方が「老い」という現実を見つめるのですが、そうなると原曲から下に移調されたその演奏に違和感を覚えるということが起きるのですから、ロックの世界であっても「調性」は曲のキャラクターの重要な要素であるということがわかります。

「移調楽器」について知ることになったのも、実は新鮮な驚きでした。簡単に言うと、多くの管楽器では楽譜の音符は実音を示しているのではなくその楽器の基音をピアノ譜のCで表記しているということ。つまり、楽譜が音の高さではなく指使いを指定する役割を果たしていることを意味します。だったらト音記号なんか使わなければいいのに、というのが素朴な疑問。以前、サックス吹きのまっきーに「今度DJイベントでベースとコラボしよう」と話したところ「楽譜が云々」と言っていてなんのことか理解できなかったのですが、アルトサックスなら基音がE♭で、したがって実音は記譜より長6度低く、市販されている実音を記した楽譜では吹けない、ということだったというわけです。