風雪

明日は八ヶ岳の南沢大滝でアイスクライミングの予定でしたが、降雪のため中止。そんなときは山の本でも読むべしととりだした『風雪のビヴァーク』……なんて速読ができるわけはもちろんなくて、この本は年明けから通勤の合間に少しずつ読み進めて、昨夜最後の北鎌行の部分を夜なべして読み終えたもの。

北穂高岳の山頂近くに松濤岩の名前を残している松濤明(敬称略・以下同じ)は、1948年末に厳冬期の北鎌尾根から槍・穂高を経て焼岳までのノンサポートの大縦走に挑んだのですが、予想外の豪雨とその後の大風雪という自然の猛威にさらされ、パートナーの有元克己とともに北鎌尾根の北側である千丈沢に下り、1949年1月6日、そこで力尽きて亡くなりました。この北鎌行の模様は松濤自身のメモ帳が発見されたことによって明らかにされており、特に最後の数日間の記録は壮絶な遺書として有名です。

本書は、この北鎌行の「遺書」をクライマックスとしつつ、彼が属していた登歩渓流会の会報等に公表されていた彼の記録を中心として、案外忘れられがちな松濤のクライマーとしての業績を丹念に追ったもので、そこに描かれる松濤は、16歳にして滝谷第四尾根単独登攀や一ノ倉沢の単独登攀、厳冬期の八ヶ岳単独縦走、さらに18歳で滝谷第一尾根冬季初登攀など、恐ろしく早熟な才能を発揮し、その後も滝谷、錫杖岳、一ノ倉沢、北岳バットレス、八ヶ岳等の氷と岩の上に前人未到の足跡を刻印していく超人的なクライマー。読み進めるにつれて眼前に展開する輝かしい業績の数々には呆然としてしまいます。

とはいえ、やはり圧倒的な迫力をもって読む者の胸に迫るのは最後の北鎌行の記録です。叩き付ける雨と風に消耗し、予定を変更してテントを放棄しツェルトと雪洞での行程突破を図って独標を越えたものの、引き続いての大風雪に雪洞を破壊されて全身を雪で濡らしたことが致命傷になった模様。凍傷のためにアイゼンも使えない状態で北鎌平から槍を越えようとして有元が千丈沢側へスリップ。もはや登り返す力がないため胸までのラッセルで千丈沢へ下り、雪洞を掘って最期を迎えます。

何トカ湯俣迄ト思フモ有元ヲ捨テルニシノビズ、死ヲ決ス
オカアサン
アナタノヤサシサニ タダカンシヤ.一アシ先ニオトウサンノ所ヘ行キマス。

有元ト死ヲ決シタノガ 6・00
今 14・00 仲々死ネナイ
漸ク腰迄硬直ガキタ、
全シンフルヘ、有元モ HERZ、ソロソロクルシ.ヒグレト共ニ凡テオハラン.

サイゴマデ タタカフモイノチ、友ノ辺ニ スツルモイノチ、共ニユク.

自分の死を見つめながら、友を思い、母を思う気持ちを松濤は最期まで綴り続けます。有元もこのノートを借りて両親に不孝を詫びていますが、有元の最後の一行荒川さん、シュラフお返しできず すみませんが泣かせます。

松濤明・享年26歳、有元克己・享年25歳。