麻布

高輪の東京アメリカンクラブで、麻布学園1978年卒業生の同期会。

同学年は320人くらいいますが、そのうち80人ほどが集まり、その大半が実に30年ぶりの再会。恩師の先生方にも多数お越しいただいて、たいへんな盛会となりました。私は中学・高校時代はチェス部に所属していて体育会系のメンバーとはあまり交流がなかったのですが、それでも顔を合わせてみればみな面立ちはほとんど変わっておらず、会場のあちこちでたくさんの同期生と、「久しぶり」の声と握手を交わしました。

我々の学年が麻布学園に入学した頃はちょうど学園紛争の終末期に当たっていて、入学直前にはロックアウトもあったし、中学一年生のときには体育館で糾弾集会もあったりして、なんだかよくわからないままに時代の熱気(の余韻)を感じていました。そんなときに入学した連中がおとなしく「進学校の生徒」を演じられるはずもなく、先生方に言わせればやはりずいぶんと手を焼く学年だったようです。ただし、もともと麻布というのは創設者の江原素六先生以来「自由の校風」が売りで、校則なし、他人に迷惑をかけない限り何をしてもいい、というのが不文律。強いて言うと「校内麻雀、授業中の出前注文、鉄下駄」が禁止事項とされる程度(Wikipedia参照)。そんなわけで、たとえば演劇をやるものは高校生なのに舞台上で「役柄上の必要性」からタバコを喫うし、飲酒についても先生に対して「どうして酒を飲んではいけないんですか?」と正面から議論をふっかけます。受けて立つ先生方もしたたかで、「法律で禁止されているからだ。」などと野暮な答は返さず、「頭が悪くなるからに決まってるだろ!」とつっぱねたそうです(そう言えば私も、たしか高校二年生の修学旅行先の金沢で夜に悪友たちと宿を抜け出し、香林坊の寿司屋の二階に上がって甘エビを肴に銚子を傾けた記憶があります)。そして、そんな中にも正義派の生徒が一人や二人はいて、悪童たちも正義派には必ず一目置くというのも麻布学園の良き伝統、と現校長先生がスピーチで語っておられました。

そんなエピソードが次々に披露される賑やかな会も、実は同学年のうち既に鬼籍に入っている六人に対して黙祷を捧げるところから始まりました。会場の一角に貼られた懐かしいクラス写真の下には、先に逝ってしまった彼らの顔写真が卒業アルバムから抜粋されていましたが、とりわけ親友だったS君の顔をその中に見つけて、しばし立ち尽くしてしまいました。彼とは高校3年間を通じて非常に仲がよく、帰宅の方向が同じだったこともあって常に行動を共にしていました。卒業後もときどき飲みに行ったり、U.K.のライブを聴きに一緒に中野サンプラザに行ったり、ガールフレンドを紹介しあったりと縁が切れることはなかったのですが、東京銀行に勤めて数年後、新婚のお嫁さんをつれてスペインに赴任して間もなく、医療ミスが原因であっけなく亡くなってしまいました。そんな彼が卒業アルバムに残していた言葉は、6年間の麻布生活で影のうすかったぼくにとって、アルバムを見てぼくのことを思い出してくれる人がいるだけで幸い

……あんなに仲良くしてくれていたS君、まだ20代だったのに異国で無念の最期を遂げたきみのことをまるで思い返しもせずに、能天気に日々を過ごしてきた自分のことを、どうか許してほしい。

最後はちょっとしんみりしてしまったけれど、とても楽しい会でした。先生方、幹事団の皆さん、どうもありがとうございました。また会いましょう!