三業
2001/11/17
渋谷マークシティを道玄坂の上の方に抜け、斜め向かいに入る細い道が、私の住む地域へと続く「渋谷三業通り」です。この通りの名前の由来について、私は迂闊にも今までまったく気付いていなかったのですが、日経新聞に連載されている桂米朝師匠の「私の履歴書」の中で三業という言葉が出てきたときに、初めてこれが花柳界と関係のある言葉であることに気付きました。
「三業」という言葉にはいろいろな意味があり、仏教用語としては衆生の口称・身礼・心念を指し、また文楽の世界では人形・太夫・三味線を意味しますが、この通りにおける三業とは料理屋、待合、芸者置屋のこと。今ではホテル街としてのイメージしかない渋谷区円山町も、もとをただせば大正2年に官許を得て栄えた花柳街で、通りの中程には芸者衆の集う三業会館なる建物もあった由。
そういう予備知識をもって通りの周辺を散策してみると、料亭やら三味線屋やらが散在していてかつての名残りを見ることができます。果たして今も芸者さんがいるのかどうかは定かではありませんが、しかし私がこの地に居を構えた5年前から今日までの間にも、三業通りには次々にマンションが建ち、一方で古くからあったと思われる豆腐屋さんや八百屋さんが廃業していますから、今日つれづれなるままに円山町界隈で写した下の写真も、いつかはこの地の歴史を伝える貴重な史料ということになってしまうのかもしれません。