誤解

2008/11/20

「日本語の乱れ」があちこちで言われます。言葉は世につれ、と考えれば「乱れ」と決めつけられないことが多いのでしょうが、自分がスタンダードだと思っている言葉の使い方と異なる用法に出会うと、やはり違和感を拭えません。たとえば……。

「結果、」
なにかの説明の後に、「そのため、」または「したがって、」といったニュアンスで使われることが増えているこの「結果、」。ちょっと前までは「その結果、」というのが普通だったと思いますが、「結果、」とぶっきらぼうに略されると、大変高飛車な物言いのように感じます。
「用意がある」
これは、乱れというよりは言い回し。「Microsoftの提案も検討する用意がある」とYahoo!が言うとき、一種思わせぶりな、決定権を自分に留保するような優越意識が感じられます。実際にはそんな余裕のある立場ではないはずなのに(それはこの場合に限っての話か)。
「感謝したい」
「ファンに感謝したい」「ユーザーに感謝したい」「支援者に感謝したい」……いろいろな場面でこの「感謝したい」が使われるようになっていますが、どうしてストレートに「感謝しています」と言えないのでしょうか?「感謝したい」では、感謝の念は(少なくとも私には)まるで伝わってこないのですが。

そして、極めつけはこれ。

「誤解を与えた」
ある大臣が、脳出血を起こした妊婦が病院に受け入れられず死亡した問題に関して「何よりもやっぱり医者のモラルの問題だ。(医療界に)入った以上は忙しいだの人が足りないだのは言い訳に過ぎない」と発言し、全国医師連盟や日本医師会の抗議を受けて「医療に携わる皆様に誤解を与えたことをおわび申し上げ、発言を撤回します」とのコメントを出しました。大臣の発言の当否(私自身は賛同できません)もさることながら、自分の発言を撤回する際に使った「誤解を与えた」とはどういう意味でしょう?医療関係者の方が誤解した、と言っているのなら、大臣は本当は「モラルの問題ではない」と考えているのに「モラルの問題だ」と誤って受け止められたということなのでしょうか?明確に「モラルの問題だ」と発言している以上、誤解も六回もないのではないでしょうか。この釈明の仕方は潔くありません。はっきり言えば卑怯です。本当に「おわび」するつもりがあるのなら「誤解を与えた」ことを詫びるのではなく「自分の不見識によって医療関係者を傷つけた」ことを詫びる、と言うべきでしょう。

日本語は、丁寧に使いましょう。