根柢

2013/11/27

1993年に物故したイスラーム学者・井筒俊彦氏とその著作に対する関心が、近年の国際政治環境との関わりにおいて再び高まりつつあるという新聞記事を読んだのが、9月中旬のこと。早速Amazonにアクセスして、同氏が1981年に行った講演の記録を整理した『イスラーム文化その根柢にあるもの』を購入しました。その時点でのベストセラー商品ランキングでかなり上位に入っていたので、私と同じく新聞記事に影響されて購入する人が多いのだな……と思ったのですが、他の本を読んでいたためにしばらく寝かせておいて、やっと手にとってから一気呵成に読み終わってみると、そういう一過性の人気では片付かない深い内容と平明な読みやすさとが一体となった良書であることがわかりました。

以下、自分の備忘のために、本書の内容を箇条書き風に記録します。

  1. 宗教
    • イスラーム文化の国際性
      • イスラーム文化はアラビア砂漠だけの宗教ではない。その生い立ちにおいてすら、砂漠の遊牧民ではなく都市の商人の価値観=契約概念に根ざした宗教だった。
    • 聖典
      • コーラン:預言者ムハンマドが神の啓示を受け、その言葉を記録したもの。
      • ハディース:預言者ムハンマドの言行録。
      • コーランの教えは聖と俗とを区別しない。生活の全て、政治も法律までもコーランのテクスト解釈による。この点において、キリスト教の聖俗二元論(「カエサルのものはカエサルへ」)と鋭く対立する。
    • 永遠の宗教
      • 絶対唯一神教であるユダヤ教とキリスト教はイスラム教と同一の「アブラハムの宗教」。モーセもイエスもムハンマドと同じ神の預言者だが、ムハンマドこそは最後の預言者であり、「アブラハムの宗教」をもとの純正な姿に戻そうとするもの。
      • その構造は、神と人との垂直的関係。しかし、キリスト教的な父子関係ではなく、主人と奴隷との関係であり、絶対帰依である。
      • 絶対唯一神教であるイスラームの立場からは、多神教の偶像崇拝はもとより、キリスト教の三位一体教義すらも攻撃の的となる。
      • 一瞬一瞬が全能の神アッラーの意志であり、因果律を認めない非連続的歴史観。
  2. 法と倫理
    • コーランの前期(メッカ期):最初の啓示から10年の、苦難の時代。
      • 終末論的雰囲気に満ちた、個人の実存的信仰としての宗教。神との契約の主体は個人。
      • 神の性格は、正義を強く求める峻厳の神、人間の不義を罰する神。
      • 倫理的に不完全な人間が神に対して抱く怖れ、罪の自覚(タクワー)、最後の審判において来世の生活を失いたくないという願いが、現世における行動の動機となる。この考え方は、「III. 内面への道」でとりあげるシーア派やスーフィズムに反映される。
    • コーランの後期(メディナ期):ヤスリブ=後のメディナへの聖遷(ヒジュラ)から10年の、発展の時代。
      • 神の性格は、慈悲と慈愛、恵みの主。善人には来世で天国の歓楽が約束される。現世のさまざまな事象すらも、神の慈愛の現れ(神兆)とみなされる。
      • 神に対して人間がとるべき態度は、怖れではなく、感謝。
      • 神とムハンマドとの契約、ムハンマドと人々との契約、人々同士の同胞契約。血縁的部族を否定した、共同体(ウンマ)の宗教への変貌=世界性の獲得。この考え方が、現在のイスラームの主流であるスンニー派の行動原理となる。
    • 現世宗教
      • メディナ期以後のイスラームは、神の意志の実現の場として、コーランの指示するところに従って、理想に近い現実生活を共同体の力で建設していこうとする。こうして宗教は社会化し、政治化し、律法化される。
      • 現世を正しく生きていくための指針として、聖典に基づいて絶対善・相対善・善悪無記・相対悪・絶対悪の五区分による命令と禁止の体系が立てられ、日常生活のすべてを支配する。これがイスラーム法(シャリーア)の構造。
      • イスラーム法を導き出すための聖典の現実への適用=論理的解釈の原理の立て方によって四大法学派が生まれる。しかし、さらに進んで個人が聖典を自由に解釈し法的判断を下すこと(イジュティハード)は、歴史の早い段階で禁止された。そのことが、近代化の過程におけるイスラーム諸国の葛藤のもとともなった。
  3. 内面への道
    • シーア派:ムハンマドの女婿アリーを始祖とする、密教的なイスラーム。メッカ期の個人的実存の宗教の系譜。
      • シャリーアではなく、目に見えることの奥にある不可視の真理(ハキーカ)を追求する。
      • 神の言葉を記したコーランは暗号書であり、その中に七層になって隠された秘密の意味を探るための解釈(タアウィール)が発達。
      • タアウィール以前に見ていた世俗世界とタアウィールによって見出される聖なる世界とは区別され、現世は両者の葛藤の場であると考える二元論的発想。これはゾロアスター教の伝統を持つイラン的世界観。
      • ムハンマド以後にも12人の内的預言者(イマーム)の存在を認め、最後のイマームは10世紀以来目に見えない次元に隠れて終末の日の到来を待っている、と考える〔十二イマーム派の立場〕。
      • 最後のイマームが隠れた後の現世を統べるのは、イジュティハードができイマームの声を聴くこともできる優れた学識経験者か、王(シャー)のいずれかであり、両者が対立すると革命になる。
    • スーフィズム:ハキーカ中心主義である点でシーア派と共通する神秘主義的イスラーム。
      • イマームに限らず、ハキーカに通じる者(ワリー)には、「アリーの子孫」といった先天的条件ではなく、修行によってなれると考える。
      • その修行は、内なる神と一体となるために自我意識を払拭する行為であり、厭世的・現世逃避的。このため、共同体的イスラームと鋭く対立することになる。
    • イスラームの歴史は、スンニー派の共同体的イスラーム、イマームにより体現されたハキーカに基づくシーア的イスラーム、個人の内なるハキーカの光を探求するスーフィズムの三つの潮流の闘争の歴史であり、それらが織りなすダイナミックで多層的な文化がイスラーム文化である。

おまけとして、不世出のボーカリストFarrokh Bulsaraの歌を。

あえて本名で記しましたが、誰のことだかわかりますか?