祖先

2014/09/03

篠田謙一『日本人になった祖先たち』を読了。そのサブタイトル「DNAから解明するその多元的構造」からわかるように、本書はDNAの変異状況の解析を通じて人類の移動と分布の歴史を辿ろうとするものです。

そのイントロとして著者=篠田先生は、アルコール→アセトアルデヒド→酢酸+水へと分解する過程を制御する酵素が正常に機能しない(つまりお酒に「弱い」)変異遺伝子の分布から、そうした変異型が中国南部をルーツとして極東アジアに広がったものの、それ以外の地域にはほとんど存在しないことが示された上で、在来の縄文人の住む日本列島に水田稲作を携えた渡来系弥生人が大陸から渡ってきて、両者が混血して現代日本人が形成されたという二重構造論と符合することを説明した上で、世界でも希なほど下戸の多い日本で、重要なことをお酒の席で決める傾向があるのはどうしてなのでしょうかと片目をつぶってみせます。

しかし本書での分析の大半は、ミトコンドリアDNAの変異型の分布状況に対する考察をもとになされています。ミトコンドリアDNAは母系でしか伝えられないという性格を有しており、かつ、その変異の様子によっていくつかのグループ(ハプログループ)に分かれることが知られています。その違いを仔細に分析するとハプログループ間の系統関係(近いか遠いか、いつ頃分岐したか)がわかりますが、そこから導き出される最初の知見は、現在全世界に住んでいる人類集団は大きく四つのグループに分かれ、そのうち三つまでがアフリカに住む人だけから構成され、残りの一つの中に残りのアフリカ人とアジアやヨーロッパの人々が含まれるという意外なものでした。

これは、約15万年前に人類がアフリカで誕生してから長い期間をアフリカ大陸の中で過ごし、その後約7〜6万年前にアフリカを出てから急速に全世界に拡散したと考えると辻褄が合います。つまり、アフリカ大陸の中で長い期間を経る間に変異を繰り返した結果アフリカに住む人々の間にDNAの多様性が生まれ、アフリカ大陸以外の人々のDNAには「出アフリカ」を果たした特定の集団の移住開始以降の変異しか存在しないからです。

この後、筆者の検討は人類拡散の経路と時期の検証から日本人のDNAの源郷探索へと進み、父系で継承されるY染色体の変異の動きにも目配りがなされますが、それらの詳細についての紹介は省略するとして、ここで特筆しておきたいことは、筆者の文章の美しいと思えるほどに率直な平明さと、DNA分析手法の限界を明らかにした上で考古学や形質人類学との学際的な協調の必要性を指摘する謙虚な態度、そして何より、分子人類学の知見に裏打ちされたフェアな価値観です。それは例えば、次のような叙述から窺うことができます。

その歴史の古さから、アフリカの集団は他の世界の集団に比べれば数倍もの遺伝的多様性を持っています…(中略)…人類が誕生し旅立ったこの地に対するリスペクトを忘れると、将来大きなツケとして返ってくる可能性があることを、私たちは忘れてはならないでしょう。〔p.55〕

私たちの持つDNAを研究してみると、そもそも人類の持つDNAの違いはごくわずかであること、そしてその成立の経緯から私たちの持つDNAは、ほとんどが東アジアの人々に共有されていることがわかりました。人類700万年の歴史から見ればほんの少し前に分かれた世界中の人々や、同じ遺伝子を持ち、DNAから見れば親戚関係の集団であるアジアの人々に、公正や信義を重んじることを期待することは間違いではないはずです。〔p.210〕

ところで、この本は2009年に上野の国立科学博物館で「インカ帝国のルーツ 黄金の都 シカン」という展示を見たときに同博物館の「ディスカバリートーク」として篠田先生自身がアンデスにおける最新の調査結果を解説して下さっているのを聞いたことをきっかけに購入したのに、その後なぜか5年間も寝かせてしまっていたものでした。もしかすると、この5年間でこの領域の知見は大きく変わっているかもしれませんが、もしそうであれば篠田先生自身の手によって最新の研究成果を平易に解説する著作が発刊されることを願いたいものです。