種子

2014/11/15

ローレンス・ヴァン・デル・ポスト『影の獄にて』を読了。

著者のヴァン・デル・ポスト(1906-1996)は、南アフリカのボーア人(17世紀にオランダから南アフリカに移住した人々の末裔)の名門家系の出身ですが、第二次世界大戦ではイギリス陸軍に所属して北アフリカから中近東、さらに極東へと転戦してジャワ島で日本軍に囚われ、1943-45年の間を捕虜として過ごした後、戦後は最初は南アフリカ、後にイギリスに定住して文筆業の枠に収まらない幅広い活躍をした高い知性と行動力の持ち主です。

ところで、著者の名前やこの本の題名を知らなくても、大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』を知らない人はいないでしょう。『影の獄にて』は、ある年のクリスマスの前夜からクリスマスの夜にかけての「わたし」と旧友ジョン・ロレンスの対話を通じた戦時の回想という形をとる三部作「影さす牢格子」(1954年)、「種子と蒔く者」(1963年)及び「剣と人形」(同)を一つにまとめたものであり、『戦場のメリークリスマス』はこれらの内の前二者を原作としています。

第一部「影さす牢格子」は、「わたし」とロレンスが共に収容されていたジャワ島レバクセンバタの日本軍俘虜収容所を舞台として、威嚇と暴力をもって収容所に君臨した粗暴なハラ軍曹と、日本語を話せることから戦争捕虜たちと日本軍との調整役を務めることになったロレンスとの、極限状況の中での不思議な友情と相互理解が主題。第二部の「種子と蒔く者」に比べるとボリュームが1/3程度しかなく、凝縮されたエピソードの中にハラの個性が際立ち、それだけに国家・組織・文化の違いを超えた人間愛の尊さが強いメッセージとして読む者の胸を打ちますが、出版当時、まだ対日嫌悪の国民感情が残っていたイギリスでは本書に対して賛否両論が巻き起こったとのこと。

第二部「種子と蒔く者」では、著者の経歴をより忠実に投射している登場人物ジャック・セリエの手記に描かれた畸形の弟との葛藤から神秘体験を経ての和解と、上述の収容所の司令官ヨノイとの短く印象的な交流とセリエの崇高な死が描かれます。このタイトル自体が新約聖書からとられており、兄弟(1人の人間の異なる両面という見方もできそう)の対立という主題には旧約聖書のいくつかの挿話を連想させる部分もありますが、弟から兄への赦しによって救済されたセリエが、今度は死を賭した抱擁によってヨノイを赦すことにより収容所の捕虜たちと日本軍とを共に救済するという主題の高潔さは、宗教の違いを超える普遍的な意義を感じさせます。

最後の「剣と人形」はこれらとは少し趣きを異にしており、日本軍の侵攻前夜のジャワ島のインスーリンダで体験したオランダ人少女との一夜の恋を描いています。「剣と人形」とは男性原理と女性原理の暗喩で、確かにこうした点への言及もあるものの、より私小説的な色彩が濃いように思えました。

第一部・第二部に描かれた主題の深遠さが本書の価値ですが、著者の圧倒的な美文が織りなす煌めくようなイメージの豊かさもまた、本書の特徴です。たとえば「影さす牢格子」の終盤、絞首刑の前夜ハラの求めに応じて彼が収監されている刑務所へと急ぐロレンス。次のような情景描写が続きます。

その夜は静まりかえっていた。炎のような宝石を身につけた女神のように、東からすすんでくる夜の美しさとすばらしさに、息をひそめているような静けさだった。さながら古代の野蛮な祭式のために造られた駝鳥の羽根毛の縁飾りのように、巨大な満月が、前方の地面の真っ黒な眉にさしかかるように、ジャングルの暗い縁のうえにかかっていた。従順な感じやすい熱帯の大気の中で、月はつねの大きさの倍ほどにも大きくみえ、水銀のようにしっとりと、光りしたたらんばかりに見えた。

なお、ハラやヨノイの振舞いの背後に通底する日本人の心性や日本文化への理解の深さが随所に見られる点にも驚きますし、戦後に特赦によって帰国したヨノイがセリエの金の遺髪を納めた神社の描写もさながら全山、山火事のように真赤に燃えさかる楓の木の生い茂る急な丘陵のなかの、杉の木に囲まれた道をずっと潜りぬけた果てのところにありまわりの空気には、さまざまな樹木の馨が漾い、ゆたかな水に清められていると、まさに理想的。そのことが本書をとりわけ日本人にとって親しみやすいものにしていますが、これは著者が二十歳頃に短期間ながら日本に滞在した経験を持っていたことが寄与しているようです。

ところで、第一部「影さす牢格子」の「影」とは、著者が傾倒したユング心理学の「影シャドウ」=認めたくない自分の一部のこと。粗暴なハラの姿はロレンス(に代表される西欧文明)の影なのかもしれないし、第二部の畸形の弟はよりはっきりと、美しい姿に生まれた兄にとっての影なのでしょう。また、「影さす牢格子」の最後でのハラとロレンスの対話の中には、あのアイヒマン論争を連想させる要素も含まれていました。

……というわけで、次に読むのはこの二冊の予定。こうした連想ゲームが続く限り、読書の牢獄から脱け出すことはできそうにありません。