解放
2017/01/31
King Crimson、U.K.、そしてAsiaで活躍したJohn Wettonが、今日(2017年1月31日)大腸がんで亡くなりました。2015年に白血病で倒れたChris Squire、2016年死去のGreg Lakeと共に、プログレッシブロックの黄金期を築いたベーシストであり、卓越したシンガー、コンポーザーでもあった彼の死は、多くの音楽ファンにショックを与えたと思いますが、とりわけJohnのファンであった私にとっては手ひどい衝撃です。
彼のキャリアは初期から充実しており、その若かりし頃の音源を漁ったこともありますが、ずば抜けた活躍を見せたのはやはり1970年代前半に在籍したKing Crimsonでのベースとボーカルです。
これは、構築美とインプロヴィゼーションの緊張感とを高い次元で融合させていた彼らの代表作の一つ「Exiles」(ライブ)。
高らかに歌い終えた後にやってくるJohnのソロパートのベースラインの美しさには、思わずため息が出てきます。
しかしJohnの本領は、むしろこのU.K.「Nothing to Lose」に見られるポップセンスだったのかもしれません。
U.K.は1970年代後半に徒花のように咲いて散ったあと、2011年に突如復活し、その後2015年の活動終了まで毎年のように来日してくれたのですが、ただ、この復活U.K.はキーボード&ヴァイオリン奏者であるEddie Jobsonのプロジェクトと考えた方がよかったようです。
Johnの絶頂期となったのは、やはりAsiaということになるでしょう。元YesのSteve Howe、Geoff Downes、元ELPのCarl Palmerと共に組んだスーパーグループAsiaは、1982年のデビューアルバムが全米1位にチャートされる大成功を収めました。
もっとも私自身は、これだけのメンバーを集めたのならもっと高度な音楽が作れるのではないのか?と少々シニカルに見ていた部分もあったのですが、3枚のアルバムを出したところでJohnはバンドを離れ、ソロキャリアを歩み出すことになりました。その背景には、Johnのアルコール中毒もあった模様。
1994年から3年に1枚のペースでソロ作品がリリースされましたが、歌詞はいずれも率直でパーソナルなものとなっています。下左の写真は、ソロキャリアでの一コマ。このダブルネックは1997年頃に使用していたもので、ライブで実際に見たことがありますが、この辺りからJohnの体重は増え続け、また、ステージによっては声がガラガラになってしまったりと不安定なパフォーマンスがファンの怒りと失望を買ったりもしていました。
しかし、2006年にオリジナルメンバーでAsiaが復活。翌年の来日では、Johnがついにアルコール中毒を克服したことを確信させる充実したパフォーマンスを見ることができました。
以後、Johnの創造力のすべてはAsiaに注ぎ込まれます。Asiaの最後の来日は2014年のことでしたが、上述のU.K.でEddie Jobsonに付き合っての2015年の来日が、彼が日本の土を踏んだ最後の機会となりました。そしてこの年、Johnは大腸がんに罹患していることが判明し、闘病生活が始まります。
左は昨年11月29日のパートナーLisaとの結婚を、右はクリスマスを前にして旧友Robert Frippと寛いだ様子を報告する彼のツイートから。このタイミングでの結婚にはJohnが死を覚悟したことが窺えますが、それにしてもこの見る影もなく痩せた姿には胸が痛みます。そして、ついに今日……。
John、たくさんの素晴らしい音楽をありがとう。病との戦いから解き放たれた今は、安らかに眠ってください。