追悼

2017/05/06

今日は、沢登りのエキスパート・ひろた氏こと弘田猛氏のお通夜に行ってきました。斎場で亡骸と対面させていただきましたが、穏やかな表情で眠っているかのように見えました。しかし、顔は傷を隠すためか蝋人形のようで全体に分厚く腫れており、左目を包帯で覆われていました[1]。また、彼の遺品の一部が展示されていましたが、そこには懐かしいおやぢれんじゃあ隊の写真集も含まれていました。

現場監督氏から事故の報せを受けてニュースサイトを検索し、彼が転落死したのを知ったのは5月1日のこと。栃木県在住で関東を中心に精力的な沢登りを続けていた弘田氏は、近年は春になると近畿方面の沢にも遠征するようになっており、4月29日には単独で奈良県の吉野川水系下多古川に入ったのですが、翌30日に「琵琶の滝」近くの河原で仰向けで倒れているところを登山者に発見されたのでした。報道によれば、首の骨が折れ、頭を強く打ったことが死因とのこと。直登は厳しいと思われる琵琶滝であっても、行けるところまでフリーで行ってみようとして墜ちたのでしょうか。あるいは、巻き道から上がって落ち口から下を覗き込んでいるときに足を滑らせたのでしょうか。真相はもう誰にもわかりません。

弘田氏とは2003年に丹沢の勘七ノ沢を登ったのがご一緒した最初の機会で、以後、次のような山行で行動を共にしました。

このように沢登りばかりではなく残雪期の雪稜ルート(北鎌尾根と八ツ峰)も含まれており、そのいずれもが印象に残る山行でしたし、その都度、山と沢を遊び尽くす弘田さんの人柄に触れることにもなりました。たとえば2007年の劔岳八ツ峰主稜では、帰路の下り坂でうれしそうに奇声を上げながら高難度のシリ(?)セードを試みたり。

あるいは2009年の丹沢の中川川西沢下棚沢では、出だしの下棚のリードを譲り合ってジャンケンに負けて「マジですかぁ!」とひっくり返りながらも見事に先陣を切って見せたり。

この下棚沢を最後に、沢に求道的に取り組む弘田氏と沢には癒ししか求めない私とがご一緒することはありませんでしたが、弘田氏の遡行記録は私が沢に行くときに常に参照するマストアイテムになっていましたし、とりわけ弘田氏が現場監督氏と組んで実践した2010年の谷川岳一ノ倉沢遡行(幻の大滝直登)の記録は、私自身の一ノ倉沢遡行のお手本となったものです。またFacebookでつながっていたのでお互いの活動状況は承知しており、ときどきコメントのやりとりも行っていたのですが……。

もともとチャレンジングな登攀スタイルで滝に挑む弘田氏は、沢での事故も数度経験しており、熊には襲われるわ懸垂下降支点はすっぽ抜けるわと危ない目にも遭ってきているのですが、その都度「守護霊様」のおかげで生き永らえてきていました。特に2012年の吾妻連峰前川大滝沢での大フォールでは前歯と顎の骨を折り、彼のもう一つの趣味であるトランペット演奏に深刻な影響を与えることになったのですが、そんなこともあってか近年は比較的安全遡行に徹している感があって、守護霊様の出番もないように思っていました。

しかし、ついにこの事故です。私にとっては山での直接の知人の死亡事故は初めての経験で、この事態をどう受け止めてよいか整理がついていませんが、心のどこかで(彼には申し訳ないことですが)いつか来るはずのものが来たと感じているのも事実です。ともあれ、今はただ弘田氏の冥福を祈るしかありません。

それにしても、彼が文字通り心血を注いで作り上げてきたこのサイトは、一体どうなってしまうのでしょうか?右上には最終更新日が「2017年4月25日」と書かれていますが、少なくともこの日付が変わることはもうなさそうです。これもまた悲しいことです。

脚注

  1. ^報道では顔をひどく損傷しているということでしたが、実際、遺族の方が現地で見分したときには本人とわからず、ふくらはぎの熊傷で本人と確定したということを、ご遺族に伺ったこととして後日現場監督氏から聞きました。