七夜
2020/04/29
この1カ月は誰もが登山自粛の状況にあり、ネット上で新しい山の情報を受信することも発信することもなくなってしまいました。しからばというわけでこの機会に、撮りためてある写真や動画を手短かにまとめたショートムービーを作って公開することにしました。題して「1分間で登るモン・ブラン山群」。過去4回のシャモニー訪問時に体験した印象的な登山(ガイド山行を含む)の様子をおのおの1分間の枠内に納め、4月23日から29日にかけて一日一山・全7回でInstagram / Facebook上に公開しました。
以下は、そのムービーと紹介文の七夜分です。
【第一夜 ダン・デュ・ジェアン(2014/08/01)】
最初に紹介するのは2014年のダン・デュ・ジェアン登山です。この年は初めてのシャモニー行だったのでJAGUの長岡ガイドに現地での引率をお願いし、アルパインのみならずスポート系マルチピッチやヴィア・フェラータも案内していただきました。一連の山行の中で、とりわけ見栄えのする山だったのがこのダン・デュ・ジェアンです。
ダン・デュ・ジェアン(4,013m)の初登は1882年。その名(「巨人の歯」という意味)の通り鋭い岩塔が斜めに突き立つ姿は、どこから見てもひと目でそれとわかる個性を持っています。一般ルートには太い固定ロープが張られているのでクライミングの要素は希薄。斜度のきつい登りを腕力頼みで登った末に到達する山頂は、小さい双耳ピークです。
なお、ここでは長岡ガイドと私の他にもう1組のガイド+ゲストが加わった4人パーティーになっています。
【第二夜 ミディ・プラン縦走(2015/08/05-06)】
今回紹介するのは、2015年に行ったシャモニー針峰群のミディとプランの往復縦走です。この年はガイドの手を借りないことにして、山友・現場監督氏と共に2週間の予定で現地に入りました。手始めに赤い針峰群のマルチピッチを登ってからプチ・ヴェルトを目指したものの、雪の状態が悪く敗退。翌日ブレヴァンの岩場を登った後に改めて挑んだアルパインルートが、この縦走路です。
ルートはミディ針峰(3,842m)からプラン針峰(3,673m)までの雪と岩のミックスした稜線の縦走で、その後は往路を戻るか氷河を使ってルカン小屋に下るか、時間と装備にゆとりがあればさらにシャモニー針峰群の縦走を続けるかのいずれか。技術的にそう難しいところがあるわけではないのですが、ルートファインディングに難渋した上に時期が遅かったために雪の状態が悪く随所で時間を使ってしまい、プラン針峰の山頂に立ったのは14時でした。ここから一旦はルカン小屋を目指したものの、これは後から思えば成算のない賭けで、案の定ずたずたのクレバスに行く手を遮られ、仕方なく岩陰で着の身着のままでビバークすることに。男2人で背中を合わせて暖をとりながら夜の寒さをしのぎ、どうにか無事に夜明けを迎えてミディに戻ることができました。
今でこそ笑い話ですみますが、不確定要素のあるアルパインルートに初見で挑むときはツェルトと簡易火器は必携だということを身にしみて学んだ山行です。
【第三夜 ツール・ロンド南東稜(2015/08/11)】
前回に引き続き2015年のシャモニー行の中から、ツール・ロンド南東稜登攀を紹介します。ミディ・プラン縦走で私が足の指を傷めたこともあってレスト→ゲレンデ→レスト→ハイキングと無為に4日間を過ごした後に、旅の後半のハイライトとして向かったのが、このツール・ロンドです。
ツール・ロンド(3,792m)はフランスとイタリアの国境稜線上にあるピークで、モン・ブランのイタリア側の展望台になります。このときの行程は、ミディ展望台からタキュルの岩壁を横に見ながら氷河の上を横断するゴンドラに乗ってエルブロンネに達し、ここから徒歩で氷河を渡って取付きへ。脆い岩に緊張する岩稜を辿って山頂のマリア様に挨拶をしてから、往路を戻ってトリノ小屋泊ですが、ルートファインディングに苦労して予想外に時間がかかってしまい、小屋に着いたときにはへとへとでした。
なお、トリノ小屋に泊まった翌日はヴァレ・ブランシュを横断してからコスミク稜を登ってミディ展望台に戻ったので、この2日間を合わせて見ればそれなりに充実した山行でした。とは言うものの、この年のシャモニー行は私の負傷や各種準備不足で同行の現場監督氏に迷惑をかけ、自分としても少々不本意なものとなってしまいました。この埋め合わせはいつかどこかの山でと思っているのですが、5年後の今になってもまだ果たせていません。
【第四夜 ブレヴァン「フリゾン・ロッシュ」(2016/06/24)】
今回と次回は2016年のシャモニー行でのクライミングを紹介します。この年はそれまでに国内で何度もロープを結んでいたセキネくんと共にシャモニーに渡ったのですが、セキネくんは仕事の都合で実質4日間しか現地にいられず、彼の帰国後もシャモニーに残った私は現地ガイドのガイディングを受けてクラシックなマルチピッチ(ミディ南壁レビュファルート / エギュイ・ルージュの「シャペル・ド・ラ・グリエール」)を登りました。
ここで紹介するのは、シャモニーの町の南側にあるモン・ブランとは反対の北側を見上げるとそこにどっしりとそびえている岩峰ブレヴァンに1906年に拓かれたマルチピッチルート「フリゾン・ロッシュ」でのセキネくんとのクライミングです。ルートの歴史と名声、乾いた堅い岩に整備された支点(2000年にリボルトされています)、ロープウェイから見下ろすギャラリーの視線を背中に感じるロケーション、振り返ればいつでもそこには白銀のモン・ブランが見守ってくれており、そして終了点は展望台直下でデプローチの苦労は皆無。「快適」という言葉をそのまま形にしたようなルートでした。
【第五夜 ミディ針峰「コスミク・バットレス」(2016/06/27)】
昨回に引き続き2016年のシャモニー行でのクライミングから、ミディ針峰の「エプロン・デュ・コスミク」、別名「コスミク・バットレス」でのセキネくんとのクライミングを紹介します。セキネくんが「俺のやりたかったのはこれだ!」という感想を残した会心の登攀です。
シャモニーの町からロープウェイを乗り継いでミディ展望台に達し、クライマー専用の出口から雪稜に飛び出すと、眼前にはシャモニー針峰群やグランド・ジョラス、遥か遠くには小さくマッターホルンも見えています。この絶景の中を下って右に回り込み、ミディ南壁の前を通り過ぎるとコスミク稜の中ほどにそびえ立っている岩壁がコスミク・バットレス。初登は1956年、あのガストン・レビュファによって行われています。ルートの核心部は岩壁の中間にある顕著なハング(レビュファはここでアブミを使用)で、これを越えた後にさらに何ピッチかを重ねてコスミク稜に乗り上がりました。
コスミク稜はそれまでにも2回登ったことがあったので後は楽勝だと油断したのですが、先行パーティーが信じられないくらい遅くて時間の空費を強いられ、気がつけば最終ロープウェイの発車時刻まであと10分。最終ピッチを迂回して前のパーティーをかわした私が肩がらみで確保態勢をとって後続のセキネくんに掛けたコールは「セキネくん!走れば間に合う!」。その言葉の通り、展望台に飛び込んでアイゼンを外した我々は、ロープを結んだまま建物の中を爆走したのでした。
【第六夜 クルー針峰「オトーズ・ルート」(2019/08/04)】
残る2回は2019年のシャモニー行でのクライミングを紹介します。2017年の夏はヨセミテ、2018年の春はエベレスト街道と一時的にヨーロッパを離れていた私は、久しぶりにこの年の夏にシャモニーに向かいました。残念ながら同行できる山仲間がいなかったので、このときは前半をイタリア人ガイドのテオ、後半をフランス人ガイドのロメインに案内してもらいました。
ここで紹介するのは、モン・ブランのイタリア側にあるクルー針峰(3,256m)の南東壁にイタリア人ガイドのアルトゥーロ・オトーズによって1935年に拓かれたクラシックルート「オトーズ・ルート」です。高距350mの岩壁の弱点を巧みに突いて登るために複雑なラインどりとなり、ガイドのテオは60mロープを可能な限り伸ばしてピッチ数の短縮を図っていましたが、それでも終了点に達するまでには11ピッチを要しました。
天気にも展望にも恵まれた楽しい登攀でしたが、印象としては日本の無雪期アルパインルートの雰囲気が濃厚で、どことなく懐かしい感じがするルートでした。
【第七夜 ポワント・ラシュナル「コンタミヌ・ルート」(2019/08/08)】
最終回の今回は、2019年のシャモニー行での最後の登攀となったポワント・ラシュナル「コンタミヌ・ルート」です。
モーリス・エルゾーグと共に人類で初めて8,000m峰(アンナプルナ)に登った名クライマー、ルイ・ラシュナルの名を冠するこのピークは、モン・ブラン・デュ・タキュルからロニヨンのコルに下る山稜上の突起で、その南側に見事な岩壁を展開しています。ミディ展望台から氷河を下り、シュルントを飛び越えてこの南壁に取り付いたところから始まる「コンタミヌ・ルート」は、ラシュナルと同世代のクライマー、アンドレ・コンタミヌ他によって1959年に初登されたライン。斜度のきつい花崗岩上の各ピッチはおおむねV級ですが、核心部とされる垂壁には「VI b」というグレードがトポに記載されていました。
この日、フランス人ガイドのロメインに引率されてのクライミングはこれ以上ないコンディションに恵まれ、10ピッチで到達した終了点からはヴァレ・ブランシュを囲むように立ち並ぶ名峰の数々を眺めて感無量でした。
さて、今年の夏もモン・ブラン山群でのクライミングを実践するためにシャモニーに行く予定だったのですが、目下の状況からするとその実現の可能性は低いと言わざるを得ません。しかも国内での登山すらできない状況の中で、自分の登攀力は下降線の一途を辿るばかり。いずれシャモニーに行ける時が来たとしても、これまでのようなパフォーマンスを発揮することは難しい……とクライミングそのものを諦めかけていたのですが、こうしてこれまでのシャモニー行を振り返ることで、自分の中に再びモチベーションが湧いてきていることを感じています。
また、今回公開した七つの動画を見た方がシャモニーでのクライミングに興味を持ってくれたなら、さらにうれしく思います。