北海

「百名山を仕上げたら、真っ先に北海道の山に登る!」と心に決めて7年、ようやく北海道を再訪する機会がやってきました。

思えば1991年夏、知床・阿寒を回って最後に斜里岳に登頂し、帰路に着くため網走へ向けて車を走らせている途中、見事に裾野を広げた斜里岳の姿に思わず車を止め「I shall return…」と呟いたのでしたが、以来北海道は常に心の故郷のような存在であり続けていました。今回の訪問では、これまでと同様、北海道在住の登山仲間であるカト・スー両氏(公務員時代の同僚)に同行いただき、札幌を振り出しに北は和寒町から南は帯広まで広範な放浪を続け、その間3ケ所の温泉にも入るという贅沢な旅となりました。

1998/08/14

午後から休みをいただいて自宅でパッキング。17時05分発のJAS117便で羽田を発ち、新千歳空港着18時30分。元同僚の女性SWさんとすすきので19時に待ち合わせをしていましたが、これが無謀だったことを思い知り、慌てて携帯に連絡して20時の待ち合わせに変更してもらいました。昨年の真冬に東京の会社を退社し、地元に戻って極寒の札幌で長くプータロー生活を送っていた「サイバー美帆」ことSWさんも、今はめでたく現地の会社でVisual Basicのプログラマーをしているとのこと。案内していただいたお店でおいしい北海の幸(ウニイクラ丼ほか)を味わい、「凍るトイレの恐怖」など北海道ならではのエピソードに腹を抱えながら、北海道に帰ってきた喜びを改めて実感しました。

1998/08/15

午前10時に札幌駅構内で釧路在住のスー氏と待ち合わせ。少し風貌が丸くなったかな?と思いましたが、会話のパターンは再会の瞬間からスムーズに7年前に戻ります。すぐにスー氏の車で道央自動車道に入り、野幌PAで今度は室蘭在住のカト氏とも合流。そのまま旭川まで移動しました。カト氏の手配で宿は上川郡和寒町の塩狩温泉にとってあるので、とりあえず旭川市内の北海道伝統工芸美術村を見学することにします。ここには優佳良織工芸館 / 国際染織美術館 / 雪の美術館の3館が併設されていましたが、正直に言って器を作りはしたものの内容が追い付いていない感じ。旭川の人たちもバブルの時期に何か勘違いをしてしまったのかなぁ、などと話し合いながら旭川を後にしました。

今日の宿である塩狩温泉ホテルは、造りは少々チープな感じもありますが浴場はゆったりとしており、料理も豪勢な鴨鍋(さっき庭の池で泳いでいたアレか?と3人で顔を見合わせました)をおいしくいただきました。また、夜はアルコールを補給しながら、カト氏が持参してくださったアラスカ旅行とヒマラヤトレッキングの写真で大いに盛り上がりました。

ところでこの塩狩温泉ホテルがある「和寒町」。この町名はてっきり「わかん」だと思っていたら実は「わっさむ」と知って絶句。アイヌ起源のことばに漢字を後から当てたのでしょう。

1998/08/16

雨……。今日は天塩岳に登る予定でしたが、天気予報によれば、日本海にある発達中の低気圧が前線を伴いながら道南方面を通過するため今日一日は雨とのこと。道内各地に大雨ナンタラ注意報が発令されていました。一応登山口へ向かう林道の入口までは行ってみましたが、雨は強くなる一方のため登山は断念。車の中で宿が作ってくれたおにぎりを食べ、いま来た道を引き返し、層雲峡を通過して三国峠を越えることにしました。

景勝地として名高い層雲峡も、雨の中、車で通過するだけではありがた味がありません。淡々と走るうちに眠気が襲ってきたので、運転しているスー氏にガムをもらいましたが、ふと前を見るとカト車も左右にふらふらしており冷や汗が出てきました。それでもなんとか三国トンネルを無事に通過し、峠の展望台で雨に煙る盆地の大森林を眺めました。しばらく下った十勝三股のログハウス風の喫茶店・三股山荘前で1時間程仮眠をとり、9時半の営業開始を待ってコーヒーを注文。ここはかつては木材の一大集積地で国鉄士幌線の終点でもありましたが、伐採が行われなくなった今は廃線となり、わずかに3軒程の建物が存在するのみとのこと。

十勝三股からさらに下った糠平で「ひがし大雪博物館」を見学。昨日の旭川といい、我々はなんと向学心に富んでいることでしょう!それにしてもこの博物館は充実しています。大雪山系を中心に、その気候と地勢、そこに住む動植物を十分過ぎるくらいの標本と体系的でわかりやすい解説で学習できるようになっており、十勝三股あたりの盆地が大きなカルデラ地形であることもここで知ることができました。展示の中で最も我々の関心を引いたのはヒグマについての解説で、1970年に日高のカムイエクウチカウシ山で福岡大学のワンゲル部員3名が殺された有名な事故の犯人(犯熊?)であるヒグマが身長130cmと意外に小さいことにも驚きましたが、「逃走から反撃へ転じる瞬間」と題する4枚組の写真はもっと迫真。林道で出会った親子連れのヒグマは最初道を逃走しているのですが、カメラマンが後を追ったためか途中で向きを変え、牙を剥き出しにして全速力でこちらに向かってきています。なかでも4枚目の写真は、ヒグマが間近に迫っているためかピントも構図もずれてしまっており、ド迫力でした。

ヒグマ:北海道やロシア極東、北米など北半球に広く分布する。木の実、果実などのほか魚や肉も食べる。北海道全域にいるエゾヒグマは肩の筋肉が盛り上がり、前足のつめが長い。体重は雄の成獣で150-300kg、雌の成獣で100-130kg。本州・四国に生息するツキノワグマと比べると、倍以上の体格を持つ。巨体だが、走るのは速く、最高で時速50kmは出るといわれている。追いかけられると、人間の足では逃げ切れない。木にも登る。

糠平観光ホテルで気勢のあがらない昼食の後、然別湖へ向かう道の途中にある山田温泉へ移動。温泉につかってから釧路に戻るスー氏とここで別れました。ここの夕食では石板焼き、大きなズワイガニの足、オショロコマ(川魚)などが出てきて大満足。

1998/08/17

4時40分にカト車で出発。この近くは「鹿衝突注意」の標識が多いのですが、我々も10回近く、ざっと数えても30頭以上の鹿に出会いながら、いったん下山口となる幌加温泉に立ち寄ってテントなどが入った大ザックを預かっていただき、ニペソツ登山口の十六ノ沢・杉沢出合へ移動。ここでカト氏とも別れ、デイパック一つの軽身で登りにかかりました。

昨日一日で雨も降り尽くしたのか、今日は雲は多いものの朝日もさすまずまずの天候となっています。1時間余りで森林限界を超え、ナキウサギの出迎えを受けながら着いた前天狗の上からは懐かしいトムラウシや十勝連峰、目指すニペソツの尖塔を眺めることができました。残念ながら山頂に着いたときには西からの雲があたりを覆ってしまい、90分も粘っても展望が回復することはなかったものの、それなりに満足して下山開始。幌加温泉への下山道は笹の刈り払いがなされておらず、ほとんど藪漕ぎに近い状態で四苦八苦しましたが、降り立った幌加温泉では宿の親父のぶっきらぼうながら暖かい気遣いで苦労が報われました(山行の詳細は〔こちら〕)。

幌加温泉からタクシーで糠平まで移動し、民宿の食堂でこの地方名物の豚丼(うなぎのタレで豚肉を焼いて御飯に乗せたもの、と食堂の主人が説明していました)を食したのち、最終バスで帯広へ。

1998/08/18

午前1時台の夜行特急で南千歳へ移動。天気がよければ支笏湖畔の樽前山に登ってこようかと考えていましたが、今日もどんより曇っておりこの計画は断念。空港の土産物店で散財した後、9時5分発のJAS102便に乗り込みました。飛び立つ飛行機の窓から一瞬空港周辺の景色が眺められましたが、飛行機はあっという間に分厚い雲の層の上に出てしまい、眼下には泡立つミルクのような雲海が広がるばかりでした。

以下はカト氏によるヒマラヤの写真と行程図。いわゆる「エベレスト街道」を辿る長旅ですが、峰々の美しさにはため息が出るばかりです。