倭国

2000/03/26

3月中旬は体調不良が続きおとなしくしていたのですが、この間読書の方ははかどりました。月曜日に会社の近くの書店で買って金曜日まで帰宅途上で読みすすめ、金曜日の夜から土曜日の朝にかけておしまいまで読み通すというパターンで、中公新書の『史記』(貝塚茂樹)、『倭国』(岡田英弘)、『漢帝国と辺境社会』(籾山明)ともっぱら東アジア古代を眺めているところです。

特に『倭国』は、中国の政治情勢が朝鮮半島や日本に及ぼした影響を記述の中心においており、非常に面白く読みました。よく日本民族はどこから来たか、という議論がなされますが、中国人種も同様に複雑で、最初の夏王朝を開いたのは広州から北上して武漢から洛陽へ抜ける内陸路を進出してきた東南アジア系、これを倒した殷王朝は北方の高原から侵入した「狄」と呼ばれる狩猟民族。さらに漢王朝の末期の戦乱で人口が10分の1に激減し、事実上中国人種が絶滅したのち、隋が再び中国を統一した頃には人口の大部分が北アジア系に入れ替わっている、と本書は説いています。

さらに筆者によれば、こうした中国の国力の消長が朝鮮半島や日本列島に成立していた華僑の商業ネットワークにもたらした影響が、正史に見える政治・文化的交流と同様に日本という国の成り立ちを考える上で重要とのこと。大化の改新の諸改革が実は645年のクーデター後ではなく、663年の白村江敗戦後の事業であったという事実。唐帝国の圧倒的パワーにより百済・高句麗が粉砕され新羅が半島を統一すると、百済を通じて辛うじて大陸・半島との交流の足掛かりを得ていた倭国は東アジア世界から孤立してしまい、その結果として、それまでの倭人と華僑の雑多な集団のゆるやかな連合体だった倭国を政治・経済・文化的に集約する必要に迫られたことが「日本国(日本人・日本語)」というアイデンティティの構築を促したのであり、その担い手の中心になったのは後に渡来人と呼ばれることになる華僑であった、と本書は説いています。