塾長の備忘録

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私=juqchoの日常の雑感を不定期に綴る、個人的な備忘録。

交信

2003/03/01

2月26日、「惑星探査機『パイオニア10号』との交信、途絶える」とのニュースを見ました。

パイオニア10号は1972年3月に打ち上げられ、翌年木星に接近して木星表面の詳細な画像を撮影し、その後1983年に初めて冥王星の外に出た探査衛星となりました。天文学者の故カール・セーガン博士らの考案で、ETへのメッセージとして、人間の男女の姿などを示す図柄の金属板が搭載されていたことでも知られています。

1972年というとYesの最高傑作『Close to the Edge』がリリースされた年。木星接近の1973年にはKing Crimsonの『Larks’ Tongues in Aspic』。1983年は……Phil Collinsが能天気に「That’s All〜!」と歌っていた頃か。その後もYesはメンバーチェンジを繰り返し、King Crimsonは4人→6人→4人と伸縮し、Phil Collinsの頭髪はどんどん後退し、そしてパイオニアははるかに遠ざかりながらも今まで地球との間に電波の糸を紡ぎ続けていたわけです。

パイオニア10号は、もはや電波も届かない極寒の宇宙の中で、まだ太陽の光を見ることができているのでしょうか?

そういえば先日、知人のホームページの掲示板で、アポロ11号の宇宙飛行士は本当に月に行ったのか、という話題が盛り上がったことがあり、この辺りの話をあちこち調べているうちに、宇宙飛行関係でいろいろ面白い記述を目にすることができました。たとえば、ガガーリンの人類最初の宇宙飛行時の有名な言葉地球は青かったに続きがあったこと。それは天には神はいなかった。あたりを一所懸命ぐるぐる見まわしてみたが、やはり神は見当たらなかった。これは立花隆の『宇宙からの帰還』にも紹介されている有名な(ソ連の飛行士だからこその)エピソードだったようです。そしてもう一つ、ぐっと詰まらされたのは、某サイトで見掛けたベトナム出征兵士の手記の言葉。

多くの兵士がよその国のために泥まみれになっているとき、アメリカは月面の2人だけを見ていた。

パイオニア10号と地球との最後の交信は1月22日。しかし交信が途絶えた後も、パイオニア10号は地球から約68光年離れた牡牛座の赤色巨星アルデバランの方向に、200万年の旅を飛び続けるのだそうです。