白土

2004/05/04

白土三平の漫画というと、『忍者武芸帳 影丸伝』『サスケ』『ワタリ』そして多数の忍者もの短編が思い浮かびますが、なんと言っても質・量ともに他を圧する光芒を放っているのは一大叙事詩ともいうべき『カムイ伝』であり、このことは四方田犬彦の『白土三平論』の表紙に夙流変移抜刀霞斬りを見せる少年時代のカムイの鮮烈な姿が描かれていることにも窺えます。

豊かな山林の描写で幕を開ける『カムイ伝』は、江戸時代初頭(17世紀中頃)の日置藩(紀州あたりの架空の藩)を主な舞台とし、非人の子として生まれた運命を忍びの道に入ることで脱出しようと恐るべき技量を身につけながら、結局そのことが自分を救うことにはならないと知り抜け忍となって追われる道を選ぶカムイ、下人の子でありながらもって生まれた才覚と正義感を活かして百姓のリーダーとなり、ついには一大一揆を組織し得たものの、最後に悲惨な運命に見舞われる正助、そして日置藩内の権力抗争によって一族を討ち果たされた恨みからスタートしつつも、カムイや正助との交流を経て徐々に武士としての自身の存在意義や身分制度に基礎を置く支配体制そのものへの懐疑を持つに至る草加竜之進の三人を主人公としていますが、その周囲に登場するさまざまな階層の何十人もの脇役がいずれもそれだけで一編の主人公になりうるほどの存在感を持っており、全体として壮大な群像劇となっています。

ただし、当初は差別の中で成長したカムイが自由を求めて北海道に渡り、1669年のアイヌ民族による悲惨なシャクシャインの乱に参加するという筋書きが予定されていたそうですが、主人公たちの成長につれて途中から構想は大幅に変更され農民を主役とする体制闘争が主題となってしまいます。徳川家の出自にまつわる日置藩の秘密を解明して追われる身となったカムイ自身は全体の4/5ほどのところで正助とちらっと交錯したのを最後に全く姿を表さなくなり、そのまま正助を中心にラストのカタストロフィへとなだれ込んで、そして最後は荒々しい海の描写で締めくくられます。

『カムイ伝』は、学生運動の興隆と失速の時期にあたる1964年から1971年まで月刊誌『ガロ』に連載されましたが、私自身は残念ながらリアルタイムでの『ガロ』読者ではありません。しかし、最初に「カムイ外伝」から白土三平の漫画に接し、その本編にあたる『カムイ伝』を読みたいと思うようになったのが高校1年生の頃で、毎月小遣いをもらっては行きつけの書店で3巻ずつ買って最後の21巻まで半年あまりかかりながら、読み進むとともにストーリーに夢中になってしまい、全巻揃えた後も何度も何度も読み返したものです。このとき買ったものは今も実家にあるはずですが、以後これを超える漫画には出会っていません。上述のように作品としては構成に破綻があり、また1988年に連載が開始された『カムイ伝・第二部』もかなりのボリュームが描かれた後に制作が中断されているため、白土三平の最高傑作としては『忍者武芸帳 影丸伝』を推す意見もありますが、そうした破調の部分も含めて、私としてはやはり『カムイ伝』に票を投じたいところ。

そんなわけで、この連休の大きな楽しみの一つであったのが、冒頭に挙げた『白土三平論』でした。これは白土三平の生涯を追いながら、紙芝居時代から貸本漫画時代、そして漫画雑誌へと至るほぼ全ての時期の作品にひとわたりの目配りがなされ、その中で『忍者武芸帳 影丸伝』と『カムイ伝』に特に詳細な考察を加えたもので、ページをめくるにつれてもう何年も見ていないこれらの作品のひとコマひとコマがまるでつい先ほどまで読んでいたかのように脳裏に浮かんでくるから不思議です。

そして、本書のラストに書かれているようにこの巨匠の再起を刮目して待ち続けている自分にも、改めて気づかされたのでした。