未来
2004/06/03
この日、会社をまる1日休んで帝国ホテルで開催された日本経済新聞社主催「第10回国際交流会議『アジアの未来』」に聴衆のひとりとして参加してきました。このイベントはアジア各国の指導者がアジア地域の課題や将来像について意見を交わし合うというもので、現在の仕事にはほとんど関係ないのですが、それでも参加費として大枚2万円あまりをはたいて参加したのは、私が以前からリー・クアンユー氏のファンだからです。
会議はいくつかのセクションに分かれていて、主催者の挨拶に続いて午前はマレーシアの現首相アブドラ・バダウィ氏とベトナムの首相ファン・バン・カイ氏、それにタイの若きエリート、スラキアット・サティヤンタイ外相の講演。昼食後、午後はまずマレーシアの偉人マハティール前首相、ピープル革命で著名となったフィリピンのラモス元大統領、それに我らが大勲位(!)中曽根康弘氏の3人による鼎談、そしてベーカー駐日米国大使の講演をはさんで最後がシンガポールの建国の父リー・クアンユー上級相、経済同友会の北城代表幹事(日本IBM会長)、経済評論家の田中直毅氏による鼎談。
全体を通してのメインテーマはアジア地域統合、とりわけASEAN+3(日中韓)の経済交流をどう具体的なかたちにするかという点でしたが、そこから派生したそれぞれのセクションでの内容は日経新聞で詳細に報道されているのでここで繰り返すことはしません。ただし、ちょっとミーハー的な視点も交えて印象的だったことを紹介すると、たとえば次のような点があげられます。
- 登壇者が例外なく強調していたこととして、アジアの多様性(民族・文化はもとより開発段階においても)と、それゆえにEU型とは異なるスタイルでの経済統合を実現していくべきであること。何人かの発言には、EU統合は成功していないと見ているフシが感じられました。
- 台頭する中国の存在への意識の大きさ。WTOに加盟し、オリンピックや万博を招致し、さらに2020年にはGDPベースで日本を抜き去るといわれているこの国に対し、いわゆる中国脅威論をもって警戒するのではなく投資と消費の対象として期待しているとの発言にはASEAN諸国の経済的自立における自信を感じましたが、同時に中国の抜き難い中華思想(中国はいつの時代にも世界最大の経済圏であった、この100年を除いては。と中国高官が語ったというエピソードが披露されていました)に対する指摘も見られました。またこれに対し、中国の今世紀における最大のチャレンジは開放体制の中で共産党一党独裁の政治形態をどのように最適化していくかである、という指摘もありました。
- 我々はともすれば忘れがちですが、アジアのもう一方の巨人として成長してきているインドとの協力関係に言及した発言もありました。歴史的にみても、古代における東南アジア地域はローマ帝国〜インド〜中国という3極の貿易ラインの中で、特に後2者の中継拠点として文明を受容してきた(「インドシナ」という名称が端的にそのことを表しています)経緯があるのですが、今ではASEANという一つの経済圏としてインド・中国と対等に伍していく地位を獲得しようとしているわけです。
- 対照的に、この地域における米国のプレゼンスの低下が感じられたこと。この点をベーカー大使に対して日経新聞社の司会者が質問したところ、ベーカー大使は完全なすれ違い答弁でまったく相手にしなかったのですが、しかし最後のセッションで田中直毅氏は、東アジア各国が変動相場制に調整を委ねるのではなく対ドル為替介入で自国内の雇用問題への波及を回避している米国依存の現実を紹介した上で、米国がテロリズムとの対決に敗れて孤立主義に陥るのは最悪のシナリオであり実はフランスもこれを懸念(だからこそイラク戦争に「それではうまくいかない」という視点から反対)していると指摘し、リー・クアンユー上級相も世界の安全保障の枠組みが維持されるかどうかは米国のイラク処理の成否にかかっており、東アジア諸国が安全と繁栄を享受しようとするなら米国を支援していかなければならないと明言していました。
マハティール前首相は、写真で見るよりもはるかに柔和な表情の持ち主で、これに対しラモス元大統領は実にユーモアたっぷりの巧みなスピーチを聴かせますが、演壇の下で火のついていないフィリピン・シガーをくわえながら他の登壇者を見上げる横顔はやはり生粋の軍人のものでした。中曽根氏は、演壇に上り下りするときは介添えの腕を借りなければならず、発言の機会を待つ間も表情に生気がなくて「大丈夫かな?」と心配になりましたが、発言を始めればやはり中曽根節で、途中それは大東亜共栄圏の再来じゃないの?と思うところですかさず「そんなことは考えていません」と予防線を張るあたりはさすがです。
そしてリー・クアンユー上級相。私は『リー・クアンユー回顧録』を読んで、インドネシアやマレーシアとの厳しい緊張関係の中で意に反して放り出されるような独立を余儀なくされた、まったく資源のない小さな島国を世界有数の生産性を誇る国家に成長させたこの偉大な政治家・行政マン・法律家に憧れをもったのですが、登壇するために私の左10mほどの通路をゆっくり歩いていった上級相はアジア人らしからぬ長身で颯爽としており、低音で語られる彼の英語に、ときどき同時通訳のイヤホンをはずして聞き入ってしまいました。
この日の登壇者は皆それぞれの世代のリーダーたちであったわけですが、とりわけマレーシア、そしてシンガポールという後発の国家を「開発独裁型」と呼ばれるリーダーシップで長年にわたって牽引し今日の隆盛をもたらしたマハティール、リー・クアンユーの両氏の姿を直に拝めたのは、幸せでした。その強烈な個性も、この日は温和な笑顔とゆったりした語り口の中にしまいこんでいましたが、やはりその姿には独特の存在感、オーラのようなものがあって、その退場のときにはいずれも精いっぱいの拍手を送らずにはいられませんでした。