盛岡
盛岡へ、1泊2日で出張。某機関の情報セキュリティ研修の講師という仕事で、会社でのポジション的には私の本業ではないのですが、担当事業部が人手不足ということで駆り出された臨時講師というわけ。岩手県というと、以前八幡平から岩手山まで縦走したことがありますし、早池峰山や姫神山にも登ったことがあります。安比高原へスキーに行ったこともあったな。また、奥州藤原氏の前史、つまり安倍氏と源氏・清原氏が奥州の覇権を争った前九年の役や、その後の清原氏の内紛に端を発した後三年の役あたりの歴史は自分なりにけっこう研究したことがあるので、「奥六郡」としての北上川流域にはなんとなく親近感をもっていました。もちろん今回は観光ではなく仕事なのですが、2日間とも仕事は午後いっぱいで終わってしまうので、あいた時間を盛岡探訪にあてるのも悪くはないでしょう。
2004/10/20
朝東京を発って盛岡に昼前に着き、この日の講習会場へ向かいます。
タクシーで移動の途中にふと見るとバス停の地名が「前九年一丁目」とあって、さすが盛岡という感じです。そういえば、安倍氏が滅びた厨川柵は今の盛岡のすぐ北にあったはず。夕方までの仕事を終えて、いったん駅前のホテルにチェックインし、盛岡県人である知人・山ヤ氏にあらかじめ教えていただいていた焼肉屋「盛楼閣」へ繰り出しました。
ギンギラギンのビルの看板に「焼肉・冷麺」と書いてあって、これだこれだと店内に入り、最初にタン、ロース、レバとカクテキを注文。タンは厚みがあってしかも大きく、ロースはカルビなみの脂の乗り。レバもおいしくいただきました。そして盛岡と言えば冷麺。食べやすい長さに切ってあり、味も歯ごたえも適度のコシがあって、大変おいしくいただきました。お肉はおいしいし、締めの冷麺もかなりイケました。しかし、恥ずかしながら冷麺が盛岡名物だとは、実は直前まで知りませんでした(他に、わんこそばに代表されるお蕎麦が有名なのは知っていましたが、炒醤麺のうどん版であるじゃじゃ麺も人気なのだとか)。
すっかり満腹になってホテルに戻りテレビをつけてみると、世の中は大変なことになっていました。超大型の台風23号が高知から大阪を経て既に岐阜あたりに達しており、東京も間もなく暴風域に入るのだとか。皆、大丈夫だろうか?盛岡は遠すぎて平和だぞ、と思いながら就寝。
2004/10/21
朝、テレビのニュースを見るともっと凄い状況でした。台風は中部〜関東を縦断し、この間に各地で高波や氾濫、土砂崩れを巻き起こして、何十人もの人が亡くなったり行方不明になっていました。兵庫県の豊岡では町中水浸しだし、富山湾では帆船海王丸が強風のため錨ごと流されて座礁しています。まさしく激甚災害。しかし台風は既に東の海上に抜けて温帯低気圧になるところで、盛岡市内は曇り空ながら雨も風もなく穏やかなものです。とはいえすぐに活動を始める気分にならず、9時半から大リーグの野球中継をしばらく見ていました。松井のいるヤンキースとレッドソックスがワールドシリーズ出場権を賭けた最終戦でしたが、ヤンキースの先発の調子が悪く試合は一方的で、初回にツーラン、2回に満塁ホーマーをくらってはどうしようもありません。早々に観戦を諦めて外に出ることにしました。
ホテルのフロントで教えてもらった通り、駅前から出ている100円均一の循環バスに乗り、県庁あたりで降りてまずは「石割桜」を見ました。確かに立派な桜の木が石の割れ目に立っているのですが、これは桜が石を割ったのか、それとも石の割れ目に桜が生えたのか、どちらなのでしょうか。いずれにせよ、春に見れば見事な光景に違いありません。
裁判所の前にある石割桜。表から見ても裏から見ても、ちゃんと石を割っています。春は壮観だろうな。しかし、どうやって栄養分を摂ってきたんでしょう。さて、そこから商売道具をがらがらと曵きつつしばらく歩いて、今度は「鬼の手形」なるものを見に行きます。これは小さな神社の中にある大きな石で、そこに鬼の手形のような凹みがあるということらしいのですが、あまりにも立派な石の姿についついボルダリングの感覚で「ここをスタンスにして、この甘いホールドでレイバックにして……」といった具合にオブザベーションに夢中になってしまい、どこに手形があるのか探すのを忘れてしまいました。
町中にふいっと現れる岩手病院の宮沢賢治詩碑。宮沢賢治はここで中学卒業後間もなく1カ月程入院し、その間に看護婦さんに恋をしたようです。ん?どこかで聞いたようなシチュエーションだが……ね、山ヤさん?
神社の中にある「鬼の手形」。昔この地方に住んで住民や旅人を悩ませていた羅刹を三ツ石の神が捕らえ、二度と悪事を働かないという約束のしるしにこの岩に手形を押させて逃してやったのだとか。これが「岩手」の県名の由来だと近くの説明書きには書いてありました。しかし、私はと言えば右の石の正面壁にクラックのルートを見いだして大喜び。注連縄さえなければ間違いなくボルダリングの対象となるところなのですが、うーん、惜しい!
「鬼の手形」から少し歩くと「五百羅漢」のある報恩寺。ずいぶん立派な山門に少々驚きながら境内に入り、正面の階段を上がって左手に回ると羅漢堂に通じる廊下があって、薄暗い羅漢堂の中には金色のたくさんの羅漢たちが思い思いの姿で居並んでいました。怒っている者、笑っている者、穏やかに瞑想している者、気難しそうな顔をしている者、隣の羅漢とおしゃべりをしている者などなど、よくこれだけリアルで個性的な羅漢を揃えたものだと感心するばかり。
五百羅漢がある報恩寺の山門と境内。1394年に南部藩十三代守行公によって三戸に創建され、1601年二十七代利直公のときここに移転されたという由緒正しい寺院。見事な構えです。
報恩寺の羅漢堂。さまざまな顔かたちをした羅漢たちが、好き勝手なポーズで居並んでいます。これらの像は中国の天台山の像を模して京都で造られ、ここに搬送されたのだとか。
ひとしきり羅漢たちと対話した後、近くの蕎麦屋で門前蕎麦なる冷たい蕎麦を食べて、午後の仕事へと向かいました。
2日目の研修を終えて、盛岡駅まで約20分の道を歩くことにしました。北上川の支流・中津川を渡るときに、西の空にきれいな夕焼けとたおやかな山々のシルエットが見えました。数年前、日本百名山を登り終えたときには、これからは東北や北海道の心和む山々をゆったり丹念に歩いてみようと思っていたのに、どこでどう間違って極道……いや、クライミングの道に足を踏み入れることになってしまったのだろう、などと思いながら、盛岡駅までの道をとぼとぼと歩き続けました。
仕事を終えて駅へと向かう道すがらの光景。さようなら盛岡、また来る日まで。ちなみにお土産は期待に応えて冷麺セットにしようかと思いましたが、やっぱりこういうのは現地で食べてこそおいしいんだよな、と思い返して、小岩井農場の小ぶりでかわいいジャムを買い求めました。