後悔

2005/12/09

今朝の日経新聞一面トップは、みずほ証券の大量誤発注の記事。昨日の昼頃からYahoo!Newsでどうやら大きなミス発注があったらしいという情報が証券界を駆け巡っていたのを知って、いったいどうなるんだろうと思っていたら、やはり人為的なミスで「61万円で1株売り」を「1円で61万株売り」と入力していたのだそうです。1分半後に同僚が気付いてあわてて取消をかけたものの、取消方法にもミスがあって受け付けられず、結局みずほ証券が大量の買い戻しをかけたにもかかわらず、13万株が買い戻せずに売買成立。みずほ証券の損失は300億円と言われています。

リスクマネジメントの視点で見れば、発行済み株式数の数倍、しかも値幅制限をはるかに下回る1円という金額での発注を受け付けるシステムもどうかしていますし、誤発注発覚後も事態の推移をなかば座視した東証の対応にも問題があると評論することもできそうですが、こういうとき私はついつい「その瞬間」の当事者のことを考えてしまいます。

同僚にミスを指摘された瞬間、彼(または彼女)はそれが意味することを瞬時に悟ったはずですが、そのとき彼(彼女)はどんな気持ちになったのでしょうか。そして取消操作が通らないと知ったときの絶望感。上司への報告と叱責、後悔と自己嫌悪、これから訪れるであろう処分と求償。みずほFGには300億円は大きな金額ではありませんが、個人にとっては天文学的な数字です。ほんの一瞬のミスで、彼(彼女)はあまりにも多くのものを失うことになってしまったのではないでしょうか。そんなふうに想像すると、気の毒で胸がつぶれそうになります。

そしてこういう事故の報に接するたびに「取り返しのつかないことというのは、どこにでもあるのだ」ということに思い至ると、自分の来し方を振り返ってのあれやこれやに後悔したりもします。