暴露
2005/12/07
朝、所用で目黒区役所の北部地区サービス事務所に行き、手続が終わってからR246沿いを渋谷駅へ向かおうとしたとき、ふと見ると北側の高台に神社があって、そこに「目黒富士」の標識が。実はこの前の日曜日にトレーニングのために富士山に登ることを計画していたのですが、しつこい風邪で調子が悪く断念していたところなので、その代わりといってはなんですが、こちらに登ることにしました。
まずは、標識に書かれている由来を転記すると……。
目黒富士
江戸時代に富士山を対象とした民間信仰が広まり人びとが集まって講を作った。それを富士講という。富士講の人々は富士山に登るほかに身近なところに小型の富士山を築き、これに登って山頂の石祠を拝んだ。文化9年(1812)上目黒一丁目の目切坂上に富士講の人びとが高さ12mの富士山を築き石祠(浅間神社)を祭り、それを別所坂上に築かれた新富士に対し元富士と呼んだ。明治11年(1878)富士山はとりこわされ、石祠(浅間神社)や講の碑はのちに当氷川神社境内に移された。その後例祭を重ねてきたが、昭和52年7月ここに登山道を開き、この境内を目黒富士と呼ぶようになった。
登山口は神社の左手、コンクリートで固められた無味乾燥の路地で、すぐに右に曲がると階段があり、その上には意外に立派な赤鳥居が立っています。ここから、なるほど登山道と言えば言えなくもない坂道が上に伸びており、合目標識もしっかり二合目から九合目まで全部ありますが、各合目の間隔はわずかに1〜2m。あっという間に「山頂」に達することができます。境内は工事中で興醒めだし、多少(かなり?)物足りない気はするものの、それでも山頂は山頂と自分に言い聞かせて、参道の階段を下りました。
さて、気を取り直してR246沿いを渋谷駅に向かっていると、向こうからどこかで見たことがある女性が……。
誰かと思えば、今年の2月まで会社の購買部門のマネージャーをしていたY女史でした。まったく予期せぬ邂逅に、こちらも驚きましたがあちらもびっくり。まさに奇遇です。久しぶりに会ったのを喜んでくれたY女史は「少し時間あります?」とそこから徒歩15秒の現在の勤め先に案内してくれました。そこは外資系のちょっと変わった会社で、いくつかある応接兼会議室にはなぜか「八丁堀」とか「日本橋」とか和風の名前がつけられています。その一つでコーヒーを飲みながら、お互いに近況報告。Y女史はこちらでも購買部門でスーパーバイザーという肩書きの仕事をしているそうですが「ずいぶん仕事が暇になりました」と屈託なく笑う彼女をなかばうれしく、なかば羨ましく眺めました。
夜は仕事がらみの研究会二件をはしご。二件目の方は、情報セキュリティ監査の発見事項の評価フレームワークを作ろうというのがテーマで、その際の道具立てとしていまや巷でも話題のサーベンス・オクスレー法における「A Framework for Evaluating Control Exceptions and Deficiencies」を流用しようとしているわけですが、資料は英語だし、私の専門領域である情報セキュリティ / 法務に加えて、財務会計、監査、ITシステムの知識を総動員しないとついていけないので、正直つらい内容です。
そんな中、用語の定義の最初に出てきた「adjusted exposure」のことをグループリーダーが「(情報セキュリティ用語の)残余リスクと同義です」というのを聞きながら、こちらはついRobert Frippのソロ『Exposure』を連想してしまいましたが、これは病気でしょうか?
なお「exposure」は「身をさらすこと」「暴露 / 露見」といった意味ですが、金融用語としては「リスクにさらされている額」という意味でもあります。