朝食

2009/03/25

昨年末の旅行の機中で久しぶりにオードリー・ヘプバーンの『ティファニーで朝食を』を観て、そういえば原作を読んでいないことに改めて気付き、しばらくしてから買って電車の行き帰りで読んだのが、トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』。訳者は、あの村上春樹氏です。カポーティ自身を思わせる「僕」の回想として語られる、あまりにも奔放であまりにも繊細なホリーの物語は、よく知られている映画のストーリー(ハッピーエンド)とは結末部分が大きく異なっています。

ニューヨークの社交界を自由に泳ぎ、いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ごはんを食べるときにも、この自分のままでいたいのと夢想するホリーにさんざん振り回されたとしても、最後にブラジルに旅立つときに猫を見失って何かを捨てちまってから、それが自分にとってなくてはならないものだったとわかるんだと身を震わせる彼女を、男性なら誰しも映画のように抱きしめたくなるでしょう。それなのに、原作の「僕」はなすすべもなくホリーを見送り、その後10数年を経てホリーの消息らしきものに触れて彼女のことを切なく思い出しながらも、ホリーが落ちつき場所を見つけることができていればと願います。

しかし、たぶんそうはなっていないはず。「僕」が初めてホリーと出会ったアパートメントの郵便受けの名札入れに入れられていたカードに「ミス・ホリデー・ゴライトリー、トラヴェリング」と記されていたように、根無し草のホリーは、いつまでも故郷と呼べる場所を探し続ける定めなのですから。

途中のさまざまなエピソードを共有してはいても映画とはまったく異なる作品として、しみじみと読み終えました。

ちなみにこちらは、昭和レトロをうたうJR青梅駅構内。似てる?似てない?(2009/04/05撮影)