男色

2014/02/15

またしても大雪に見舞われた金曜日に続く土曜日は、早い時刻から晴れ間が見られて、たまった仕事を整理するために出社することにしました。たいがいの仕事は、自宅のMacからインターネット経由で会社の仮想デスクトップにアクセスすればこと足りるのですが、この日はバインダーに綴じられた大量の古文書(と呼びたくなる契約書類)を落ち着いて読み込む必要があったのです。

おかげで仕事ははかどりましたが、行き帰りの電車の中での読書もはかどりました。今回読了したのが、引き続き白洲正子さんの著書で『両性具有の美』という、何やら淫靡な響きの本です。

なぜにこの本を読もうと思ったのかというと、別に自分にその手の嗜好が芽生えてきたわけではなく、昨年観た野田秀樹の芝居『MIWA』に描かれたアンドロギュヌス / ヘルマフロディトスの世界の理解につながることを期待したためです。ちなみに、アンドロギュヌスもヘルマフロディトスも共に両性具有を意味し、いずれもギリシャ神話に由来する言葉ですが、アンドロギュヌスはもともと二つの顔、4本ずつの手足、二つの性器を持つ異形の存在であったものが男女に分けられて、その後、切り離された互いを求めるようになったというもの。一方のヘルマフロディトスは、ヘルメスとアフロディーテの間の子である美少年ヘルマフロディトスが、彼に懸想した妖精サルマシスに泉の中で抱きつかれ、その祈りによって永遠に離れられない身体になってしまったものです。『MIWA』の中では美輪明宏の聖性を宮沢りえが、化け物性を古田新太が演じていましたが、この由来を思えば、古田新太にアンドロギュヌス(=安藤牛乳)の名が与えられたのは自然なことと思われます。

それはさておき『両性具有の美』の方は、冒頭にこそオルランドーというヴァージニア・ウルフの小説(を原作とする映画)から男女の間を行き来する主人公をとりあげていますが、その後はもっぱら日本の能楽を通底する素材として、著者自身のルーツである薩摩隼人の少年愛の伝統の叙述に力を注いだかと思えば、大伴家持や西行の歌に男への恋心を見たり『源氏物語』「帚木」「紅葉賀」の中に光源氏の両性具有性を読み取ったりとペンの赴くまま。保元の乱の一方の主役となった藤原頼長の広範な男色関係(敵味方もそれによって分かれたらしい)とか後白河法皇のそれとか、要するに院政時代において衆道は禁忌ではまったくなかったことを明らかにし、さらに中世の稚児と天狗をその文脈で解説した章の次には南方熊楠への言及が続いて読む方は目を白黒させてしまいますが、これは学術論文ではなくエッセイ集なので、著者の関心の振幅の大きさ(=とりとめのなさ)にこちらも付き合うしかありません。それでも最後には世阿弥の話に落ち着いていって安心していると、そこにイタリアのカストラートが登場してびっくり。最後には竜女成仏=変成男子へんじょうなんしの話の途中で新宿二丁目のおかまを登場させて、唐突に筆をおかれてしまいました。

結局、白洲正子さんはこの本で何を言いたかったのか?それは、実はエッセイスト大塚ひかりさんの「解説」にはっきりと書かれています。世阿弥が長年のパトロンとなる足利義満に見出されたのは12歳のときで、よく知られているように、その後世阿弥は義満の心身両面の深い寵愛を受けることになります。そうした世阿弥が大成した能は、男性が女性を演じ、その女性が男性に恋をして一体となりもする(たとえば「井筒」)、あくまで男性演者が男性の観客に観られる演劇ですし、著者はまた子方の重要性を指摘してそこに稚児に典型的な少年愛の伝統の反映を見ています。そして、薩摩隼人の血を引き、小林秀雄、青山二郎、河上徹太郎ら多くの男たちと広く深い交友関係も持っていた著者は、書いていることやその文体もまた男性的でありながら、しかし生身はあくまで女。少女の頃から長年能舞台に立ってきた白洲正子さんが行き着いた結論は女にお能は舞えないでした。私、五十年やってよくわかりました。あれは男色のもので、男が女にならなくちゃだめだ、って。精神的なものもそうだし、肉体的にもそうです。この本は、そうした著者がどうして女にお能が舞えないかを書くことが執筆の動機だったのです。

なお、この本が刊行されたのは1997年で、白洲正子さんは翌年に88歳で亡くなっています。その当時のことは知りませんが、現在では一線で活躍している女性能楽師もいることは、付言しておきましょう。

余談1
本書の中に引用されている大伴宿禰家持の藤原朝臣久須麿へ贈った歌夢のごと思ほゆるかも愛しきやし君が使の数多く通へばの「愛しきやし」を見て、ああこれかと思いました。「これ」というのは、深田久弥の『日本百名山』の「雨飾山」の項に出てくる歌です。美しい双耳峰の雨飾山を見上げた深田久弥が、初恋の人で二番目の妻ともなった女性に贈った歌は左の耳はぼくの耳 右は はしけやし君の耳。「愛しけやし」とは愛おしいという意味です。
余談2
南方熊楠の著書からの引用の中に明和のころすでに芝居役者にすら専門に育て上げられたる若衆形は全滅し、女方が平井権八や小姓の吉三をつとめ候。それでは女になってしまって、若衆や小姓の情緒はさっぱり写らずというくだりがありました。明和年間とは18世紀後半ですから熊楠にとってもずいぶん昔の話になりますが、確かに「御存鈴ヶ森」の白井権八や「三人吉三巴白浪」のお嬢吉三は美少年が醸し出す倒錯美が眼目。さらに、熊楠が数十年ぶりに訪れた紀伊の海辺の景色の変わりようを松風村雨の塩汲み姿の代わりに海水浴装の女を立たせたようと嘆くところは能「松風」を下敷きとしていて、彼が粘菌ばかりでなく歌舞伎や謡曲にも通じていたことがわかります。
余談3
著者が能「羽衣」について述べた章の中の記述いくら猿之助が空中ブランコで飛び廻ってみせても、八十歳をすぎた友枝老人が、袖をひるがえしただけで雲を起した力量とは比べものにならないのだ。これはおそらく「四の切」の幕切れでの宙乗りを揶揄したもので、空中ブランコとはずいぶんな言い方ですが、ちょうどこの本を読んでいるとき、日本経済新聞では市川猿翁丈が「私の履歴書」を連載中で、2月13日の回にはまさに「四の切」の宙乗りを国立劇場のスタッフと共に研究した苦労が書かれていました。
猿翁丈曰く情の表現に重きをおく六代目菊五郎系の音羽屋型と澤瀉屋に伝わる家の型、それに私自身の工夫を加味し、磨き上げてきた。ケレンの楽しさは理屈を超えて観客を楽しませるもの、心理的なもの、その双方が拮抗するとき、光を放つ。ケレンを10やるとすれば、心理表現は20も30もやらなければいけない。そこが難しいのだ。見事な見識だと思います。
余談4
そういえば、私が小学校6年生のとき、百人一首を全部覚えるというのがクラスの仲良し男子数名の間で流行りました。そして、その内の1人ハラダ君からもらった年賀状には、柿本人麿の次の歌。
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜をひとりかも寝む
この年賀状を見て私の父は「うーん」とうなったきり絶句していましたが、友人は単に「の」が重なる上の句の響きの面白さに惹かれてこの歌を採用したのでしょう。秋の夜長を恋しい人を想って過ごす独り寝の寂しさを歌った歌であることなど、私の友人は思いもかけなかったに違いありません。何せ小学生ですから。
余談5
私が洋楽なるものを聴くようになったのは、中学生になってすぐの頃。そしてかなり早い時期にレコードを買ったのがElton Johnでした。彼の「Daniel」も、実はやはり同性愛の歌。
そうとは知らずに「いい曲だなあ」と思いながら一所懸命歌詞を覚えてレコードに合わせて歌ったものですが、両親もこの曲にそうした背景があるとはさすがに気づかなかったことでしょう。