戯迷

2014/07/16

樋泉克夫『京劇と中国人』を読了。

このところ平安歌人の西行にまつわる本ばかり読んでいましたが、先月久しぶりに京劇を観たのを機に、西行はいったんお休みしてこちらの本を手にとってみたという次第です。著者の言によれば、

豪華絢爛たる京劇の舞台が描きだすものは、中国人の想念のすべてなのだ。皇帝から一般市井の人々まで、京劇は中国人の心を捉えて放さない。新中国の成立から文化大革命を経て改革・開放の時代へ。政治の激流に翻弄された京劇は、そのまま時代の荒波にさらされ続けた中国人の姿でもある。

ということなのですが、その通り、自らを戯迷=芝居の道に迷い込んでしまった物好きに任じて憚らない筆者は、単なる演劇論としての京劇ではなく(これだけでも手元にある京劇解説本と比較して遜色ないほどに詳細ですが)、日中戦争後の中国において中国共産党が京劇を「人民への偉大な教師・教育手段」としてどのように改造しようとしたのか、さらには文化大革命の嵐の中で江青が主導した革命現代京劇がいかに生まれ、挫折していったか、そうした京劇の近現代史を通じて結局は中国そのものの近現代史を描き出そうとしており、その試みは間違いなく成功しています。

ことに歓喜、覇気、勇気、義俠、苦悩、憤怒、邪淫、劣情、恐怖、壮麗、悦楽、奸計……と、およそ人の営みのすべてを正邪ともに過剰なまでに生々しく描き出す伝統京劇に対して中国共産党が「人民教育の手段」としてふさわしい演劇への改造を行おうとした戯改工作に関し、「有害」とされたエログロを含む伝統京劇を求め続けてきた中国人そのものを変えなければ逆に京劇は変えようがなく、その点に気づかずに「人民の演劇」が変われば人民も変わると楽観視していた中国の指導者は結局のところは中国人の性向を誤解していた、と指摘する筆者の深い分析には唸るしかありませんでした。

ところで、この本を読みながら一方で思ったのは、さまざまな偶然の連鎖が織りなす読書体験の深みということ。もともと6月に京劇を観たこと自体が、その前に能で「項羽」を観ようとしたこと(それは果たせず)に起因しているのですが、さらに、本書の中で紹介されている多くの京劇の演目が題材をとっている『三国志演義』『水滸伝』については高校生の頃に学校の図書館で本格的な120回本を読んでその内容に通じていたこと、さらに『虹色のトロツキー』をきっかけに川島芳子について知り、戦後中国の国共内戦から文化大革命に至る歴史についても『ワイルド・スワン』を読んで理解していたことが、本書の理解を決定的に助けてくれていました。

裏返せば、この『京劇と中国人』はそうした蓄積がなければ読みこなせない本であるということができるかもしれません。それでも、著者の京劇に対する熱い愛情=戯迷ぶりだけは、予備知識の有無に関係なくあらゆる読者に伝わってくるものと思います。