大人

2005/07/31

趣味の対象をまとめて購入する「大人買い」。先日思い付いて全8巻まとめて購入したのが安彦良和の『虹色のトロツキー』。この漫画は、前に勤めていた会社で、好評につき回し読みされていたものです。

安彦良和というと「機動戦士ガンダム」でアニメ系の作家と思っている人が多いでしょうが、れっきとした漫画家でもあります。そしてこの『虹色のトロツキー』は、満州国に五族協和を理念として開学した建国大学に昭和13年6月に日蒙二世の青年ウムボルトが入学してから、紆余曲折を経て昭和14年8月にノモンハンに斃れるまでを描くもの。日本人特務中尉だった父の死の謎解きがストーリーの主軸にあり、外蒙の社会主義化を防げなかった日本がソ連との間に防壁を作るために画策されたトロツキー計画(スターリンと対立するユダヤ系ロシア人革命家トロツキーを担いでソ連極東にユダヤ人国家を作る計画)が、張作霖爆死事件のあおりで闇に葬られることとなった経緯が徐々に明らかになっていきます。そして、その過程において戦線不拡大論者の石原莞爾や関東軍参謀の辻政信といった実在の人物が絡み、トロツキーを満州に招聘しユダヤ自治州を起爆剤としてスターリンのソ連との戦争状態を惹起し、これによって米英戦を回避し日中戦争からも手を引かせようと企図する彼らの策動が、悲劇的な結末を迎えることになるノモンハンの戦闘へとなだれこんでいく歴史の必然と、そうした時代の波に翻弄されていくウムボルトの姿が活写されています。

なお『虹色のトロツキー』という題名から、トロツキーが主要人物として出てくるのかと思えますが、実際には本物のトロツキーは出てきません。トロツキー計画の謎解きの過程で、ウムボルトの父が伊寧で接触していたトロツキーは偽物であったらしいことが判明してきますが、上海でその偽トロツキーが死んだ後に犬塚海軍大佐が安江陸軍大佐に語るみんなトロツキーという幻におびえているんですよ。あるいは限りない幻想を抱いているんです。蜃気楼や虹のようなものだと思いますよ。追いかけても追いかけてもつかまりませんという言葉だけが、この不思議なタイトルにつながっています。そしてまた、ノモンハンの原野で力尽きる直前にウムボルトが見上げるのも、虹の橋。

こうして紹介記事を書いていて、改めてこの話がわずか1年ちょっとの期間を描いたものであったことに驚いたのですが、その間のウムボルトの軌跡は実に多彩で、建国大学の学生から抗日聯軍の指揮官へ、そして興安軍少尉へ。それでも、たった1年。作者があとがきに書いていることですが、ストーリーとしては満州国の終焉まで描かなければならないのではないかと煩悶しつつ、しかしそれではウムボルトという一個人が通して生きるには、いささか過大な歴史ではないかと考えたそうです。そしてその過大なすさまじい歴史を否も応もなく行きてくぐり抜けてきた人たちが現に多くおられることを思うと、自分は少々弱気だったのかとも思う。とも。

父祖の世代が生き抜いてきた歴史の重みを手のひらに感じながら、全8巻を一気に読み通しました。