論争

2014/11/19

矢野久美子『ハンナ・アーレント』を読了。アイヒマン論争をとりあげた同名の映画(日本では2013年公開)で日本でも広く名前を知られるようになった政治学者ハンナ・アーレント(1906-75)の伝記です。

アーレントは1906年にドイツ中北部のハノーファーで中産階級のユダヤ人の家庭に生まれ、マルティン・ハイデガーやカール・ヤスパースの下で哲学を学んだ後、ナチの台頭から逃れるために1933年にフランスへ、さらに1941年にはアメリカ合衆国へ亡命して、そこで政治学者として豊饒な成果をあげた女性です。本書は、その人生を数多くの知の巨人たちとの関わりも紹介しながら時系列に沿って辿りつつ、その主著である『全体主義の起源』『人間の条件』の内容とアイヒマン論争の顛末を手際よく整理してくれています。アーレント自身の著作は難解で知られていますが、本書は極めて読みやすく、強靭でありながらナイーブでもあるアーレントの人間性も伝わってきて、誰にでも勧められる良書でした。

アーレントは22歳のときに博士論文『アウグスティヌスにおける愛の概念』を発表していますが、その内容を本書では次のように要約しています(以下引用はアーレントの著作ではなく本書から)。

人間の存在を根源的な意味で「社会的」なものと考えるとき、神による「被造者」としての存在の起源だけでは不十分である。神への愛に導かれる「被造者」はそれぞれ孤立していて、その「隣人愛」においては具体的な他者は個々の身近な者として理解されない。そこでアウグスティヌスをとおしてもう一つの起源が引き出される。それは、アダムを始祖とし「出生によって」成立する「人類」への帰属である。

後にアーレントの著作の中で繰り返し検討されることになる全体主義への問題意識の根底にも、この考え方が一貫しているように思います。

戦後、アウシュビッツで行われた「死体の製造」「人間による人間の無用化」に衝撃を受け、伝統的方法によっては叙述することのできないこの先例のない出来事を直視し理解しようとしたアーレントが著した『全体主義の起源』(1951年)は三部構成になっており、第一部「反ユダヤ主義」ではイデオロギーとしての反ユダヤ主義に染まる群衆の狂信を、第二部「帝国主義」では政治的武器としての人種主義と官僚制という「誰でもない者」による支配が結びつくことの危険性を描いた上で、第三部「全体主義」において大衆運動から強制収容室とガス室という「人間の無用化」にいたるまでの全体的支配のさまざまな要素を分析します。

全体的支配は人間の人格の徹底的破壊を実現する。……。発言する権利も行為の能力も奪われる。行為はいっさい無意味になる。アーレントは、こうした事態を法的人格の抹殺と呼んだ。 法的人格が破壊された後には、道徳的人格が虐殺される。ガス室や粛清は忘却のシステムに組み込まれ、死や記憶が無名で無意味なものとなる。……。 さらには、肉体的かつ精神的な極限状況において、それぞれの人間の特異性が破壊される。個々の人間の性格や自発性が破壊され、人間は交換可能な塊となる、とアーレントは書いた。

大事なことは、この分析が過去のナチズムのみならずスターリズムに対しても、さらにはそれらの終焉後の世界においても生き残りうる事態であることに警告を発していることでしょう。さらに、アーレントの思索は「砂漠の拡大」へと進みます。

人びとの関係性が成立するあいだの世界が失われた砂漠的状況は、本来ならば人びとを苦しめる状況であるのだが、近代心理学は「砂漠」が関係の枯渇にではなく人間自身のなかにあると見なし、世界喪失的生活条件に人間を適応させようとした、とアーレントは見る。

そのことによって砂漠を人間的なものに変えようとする力が失われ、「砂漠の生に最も適した政治形態」である全体主義運動が展開する危険性が増大する、とアーレントは説きます。この考えを押し進めた先に、対等な人間の複数性を保証すべき政治の役割を主題とした『人間の条件』(1958年)が生まれました。

こうした著作を発表してゆく中で政治学者としての揺るぎない地位を築いていったアーレントが暴風に巻き込まれることになったのが、アイヒマン論争でした。元ナチ官僚としてユダヤ人の「最終解決」(大量殺戮)の一翼を担っていたアドルフ・アイヒマンは、1960年に逃亡先のブエノスアイレスでイスラエル諜報機関によって逮捕され、イェルサレムでの裁判の後に絞首刑に処されたのですが、その裁判についての著作『イェルサレムのアイヒマン』の中でアーレントは、この裁判がイスラエル首相ベン=グリオンによるプロパガンダであると指摘し、ナチ官僚と当時のユダヤ人組織との協力関係に言及し、さらにアイヒマンを悪魔ではなく思考の欠如した凡庸な男として描きました。これらのことによって、ユダヤ社会からそれまで経験したことのないほどの攻撃を受けたアーレントは、同胞たちとの絆の大半を失うこととなります。

本書の中では、アーレントがこの上もなく大事にしてきた友情を失って打ちひしがれる様子が描かれる一方で、ダニエル・ベルやヤスパースによる支持と励ましにも言及して読者をほっとさせますが、アーレント自身もこうした論争の中で浮かび上がってきた問題をさらに理解するために考え続け、全体主義下において「公的な生活に参加し、命令に服従した」アイヒマンのような人びとに提起すべき問いは、「なぜ服従したのか」ではなく「なぜ支持したのか」という問いである、という考えを表明するに至ります。「人間という地位に固有の尊厳と名誉」を取り戻すためにはこの言葉の違いを考えなければならない、という本書の記述は、現代社会のあらゆる場面で想起すべき指摘であると言えるでしょう。

その後も、現代社会のエリートたちから大衆に至るまでの無思考性や判断の欠如に警鐘を鳴らし続けたアーレントの晩年を描いた本書は1975年の死をもってその幕を閉じていますが、その最後の叙述の中で使われる「私たちの著者」「私たちは」という一人称複数の表現は、本書の著者である矢野久美子氏のアーレントに対する思い入れを示しているようです。

余談1
アーレント夫妻はヨーロッパからアメリカへ渡る際に、リスボンから乗船しています。それはポルトガルが第二次世界大戦において中立国であり当時ヨーロッパから脱出するために残された唯一の門だったという記述が本書の中にありましたが、なるほど映画『カサブランカ』でイングリッド・バーグマンがリスボンを目指したのはそういう背景であったかと納得。
余談2
アーレントと関わった戦中・戦後のヨーロッパ及びアメリカの知識人たちの名前が次々に出てきますが、懐かしかったのはテオドール・アドルノ(「権威主義的パーソナリティ」)とダニエル・ベル(「脱工業化社会」)。大学の教養学科の授業で学んだ名前が次々に出てきて、思わず遠い目になってしまいました。あの頃に手にとってはみたものの読み通せなかった本(たとえばエーリッヒ・フロム『自由からの逃走』など)も、今なら多少は理解できるかもしれません。