塾長の備忘録

塾長の備忘録

私=juqchoの日常の雑感を不定期に綴る、個人的な備忘録。

家宝

2016/01/25

夕方、仕事をさっさと切り上げて渋谷のモンベルへGO。この日ここで、伝説のクライマー鈴木英貴氏のトークショーがあるのでした。

鈴木英貴氏は1954年生まれ。20代の前半から日本国内の冬季岩壁登攀、シャモニーでのアルパインクライミングで成果を上げた後に米国に移住し、ヨセミテのビッグウォール、クラック、スポートルート(5.14まで)、そしてボルダリング(V10まで)とスタイルをどこまでも先鋭化させながら20年間にわたり求道者のようにクライミングに取り組んだ、まさにレジェンドと言っていい人です。ことに1987年、当時世界最難と言われたジョシュア・ツリーのクラックルート「Stingray」(5.13d→現在は5.14aといわれている)を初登したことで著名で、クラックのスペシャリストとしての地位は不動のものでしたが、2002年に突然クライミングを(ほぼ)捨ててハワイに移住しカイトボーディングに転身したという不思議な経歴の持ち主。その自伝がモンベルによる新装『岳人』にずっと連載されていたのを私は毎号欠かさず読んでいたく感動していたので、この日のイベントも楽しみにしていたという次第。

エレベーターに乗ろうとしたところで、現場監督氏とばったり。一緒に5階まで上がって会場に入ると既に何人かの客が着席しており、正面のスクリーンに向かって左の関係者席には服部文祥氏ともう1人、がっしりした印象の顔立ち・体つきの男性がいました。「あれがスズキヒデタカ?」「いや……(印象が違うけど自信なし)」というひそひそ話を交わしているうちに定刻になり、やがてモンベルの店員さんからマイクを受け取って話し始めたのは、やはりその角ばった顔の男性でした。ただ、話し始めてみるとそのストイックなライフスタイルとは裏腹にとても柔和な感じで、常に口元に笑みを浮かべながら親しみやすい口調で自分の生い立ちから説明をスタートさせました。

スライドショーは、写真をプロジェクターで投影しながら鈴木氏が解説を加えてゆく形で淡々と進み、ヨセミテのエル・キャピタン、トゥオルミ・メドウズ、ジョシュア・ツリー、鈴木氏の第二の故郷とも言えるコロラド州エステスパークの郊外のランピーリッジ、ボルダー、例外的に(そして最後の)冬壁登攀となったロングスピークのダイヤモンドウォール、ユタ州キャニオンランドのピナクル群、デビルスタワーの弧を描く柱状節理、そしてフエコ・タンクスでのボルダリング、レイク・タホの「Grand Illusion」(5.13b/c)の初RP(初登者はピンク・ポイント)、平山ユージのヨセミテ「サラテ」ワンデイOSトライのサポート等が次々に紹介されました。ここまでがクラック・クライミング中心の米国編ですが、その後さらにヨーロッパ編として、フランスのブリアンソンやカランク、セユーズの石灰岩の岩場での素晴らしい高度感の写真やスペインのマヨルカ島での黄色と黒の美しい縞模様の圧倒的な垂壁、地中海と空の青さが映し出されます。

米国ビショップでのボルダリングを集めたコーナーもありましたが、当時の鈴木氏は冬の半年をボルダリング、夏の半年をフランスでロープクライミングと使い分けることで、ますます技量を上げていったとのこと。本当はこの後にオーストラリア編、ハワイ編という順番になるはずだったのですが、間違えて先にハワイでのボルダリングやカイトボーディングの様子が紹介され、その後にオーストラリアのグランピアンズ他の岩場が映し出されました。実は鈴木氏の自伝によると、WOWOWの企画でクライミングの番組を作るためにオーストラリアに渡ったときに、現地のクライマーからサーフィンに誘われたのがきっかけで海に開眼。波を求めてハワイに渡り、そこで出会ったカイトボーディングに衝撃を受け自分の中で何かが切り替わって、クライミングを捨てることになったそう。したがって、ハワイ編では海辺でのボルダリングもさることながら、カイトボーディングやパラグライディングなどクライミング「後」のスポーツに親しむ様子が少なからず紹介されていたのですが、それでも一連のスライドの最後に置かれていた3枚は、まず鈴木氏が信条とするシンプルなクライミングスタイルに強い影響を与えたという故ジョン・バーカー、次にヨセミテのビッグウォールの上でくつろぐ若き日の鈴木氏、そして最後に鈴木さんの最愛のクライミングパートナーであり、若くしてガンのために亡くなった奥さんの美智子さんの笑顔でした。

スライドショーはおおむね時代を追ってその時々のクライミングスタイルを見せるものでしたが、全体にかなりユルい構成で、写真もプロの手になる鮮明なものもあれば自身の手撮りでピンボケブレブレもあったりして玉石混交。上述の「Stingray」の紹介がまったくなかったのも意外で、実はそこに期待していた客も少なくなかったのではないかと推測します。また、自分としてはシャモニー時代の鈴木氏の業績にも興味を持っていたのですが、途中でちらりと氷河の向こうに昨年登ったツール・ロンドが映って現場監督氏と「!」と顔を見合わせたくらいで、5級ルートを次々に落としていった若き日の鈴木氏の様子は知るすべもありませんでした。

スライド投影の終了後には質問コーナーとなりましたが、モンベルの店員さんはまったく仕切ろうとしないし、鈴木氏はどんな質問にもどこまでも誠実に答を返そうとするので、質疑応答は予定の時刻をはるかに超えて続きました。以下、順不同でその一部を紹介すると……。

Q. クライミングはもうしていないのですか?
ハワイでの12年間、カイトボーディングに集中。今は一時的に日本に戻り、南町田のグランベリーモールのピナクルで仕事の合間に登ってはいます。
Q. 体力維持は?
ハワイでは身体を使う仕事の後に日に2-3時間カイト。日本でも人工壁で登ったりヨガをしたり、休日には御岳へ行ったり。
Q. 体重管理は?
2002年にクライミングをやめたとき、自分の中では「やり尽くした」という感があって、未練なくやめられた。それからは気にせずビールも飲むしワインも飲む。ただ、もともと炭水化物はあまりとらずたんぱく質と野菜中心の食生活で、今でも体重は60kgを切っている(身長171cm)。
Q. 日本を飛び出してどうだった?
大学(早稲田中退)に入る前から、いずれ世界を見てやろうと意識していた。日本を飛び出して本当によかった。世界をリードする場所でクライミングができた。短い、1回きりの人生だから、考えるくらいなら行動するべき。それで間違っても、後から考えれば行動してよかったと思えることが多い。皆さんも広い世界に飛び出して下さい。
Q. 挑戦は何歳からでもいいのですか?
YES!いくつになっても、人生はイチから始められる。特にアメリカは、そういう国。
Q. クライミングはどんどん細分化しているが、これからどうなると思うか。
自分よりクライミングがうまい人はいても、自分よりクライミングが好きな人はいない、と思いながら登り続けた。ヒマラヤでの高所クライミングには興味が湧かなかったが、ビッグウォール、クラック、スポート、ボルダリングとなんでも好きでやってきたし、それがいいのではないだろうか。そしてジムではなく外の岩で、その人なりのグレードで挑戦を続ければ、それがその人にとって一番いいクライミングだと思う。
Q. 今の興味は?
ピナクルで子供たちが登っているのを見るのは楽しい。若い人たちと関わる何かをしたい。ただ、自分にとってはハワイは一番居心地の良い、宝物のようなところ。今は日本で母親の面倒をみなければならないなどの制約があるが、いずれハワイに帰りたい。日本に戻って1年になるが、東京に住むのは大変だ(笑)。そろそろいいかな、という感じ。

質疑応答が終わった後には、その場で売られている『岳人』を買えばサインしてもらえるという企画が待っていました。表紙にサインしていただいている間に、自分もこのところシャモニーに通っていること、鈴木氏の自伝の中で(美智子さんと共に登った)ドリュ西壁アメリカンダイレクト登攀の記事に感銘を受けたことを話すと、鈴木氏は「懐かしいなあ」と目を細めてくれました。サインありがとうございました。家宝にします。

なお、上述の「Grand Illusion」や「Stingray」については、2009年春のロクスノ043号に詳しい紹介記事があります。この記事を書いたのはそのときのツアーで「Grand Illusion」をRPした今井考氏で、今回のスライドショーにも参加し、鈴木氏に「クライミングはどんどん細分化しているが、これからどうなると思うか。」と質問した人物ですが、同氏はまた今年の年明け早々に「Stingray」もRPしたそう。鈴木氏も今井氏を知っていて、祝福の言葉を贈っていました。