亀山

2016/03/17

日本経済新聞社による『シャープ崩壊』を読了。新聞紙上に連載された記事を再編したもので、シャープのここ10年ほどの間での転落の顛末を時系列で追っており、「名門企業を壊したのは誰か」と副題にあるように、歴代社長の責任追及にフォーカスしています。

戦前からシャープペンシルや鉱石ラジオの開発で名を上げ、戦後も電卓、太陽電池、14インチ液晶モニターで三度のIEEEマイルストーンを受賞した先進技術企業であったシャープは、2000年前後から液晶技術に経営資源の大半を注ぎ込むようになり、2004年に稼働を始めた亀山工場から「世界の亀山モデル」をブランドとして売り出しましたが、第10世代ガラス基板を用いた大型液晶パネルを生産する設備を持つ堺工場(2009年稼働)等への1兆円規模の投資が裏目に出て一気に傾くことになりました。連結売上高3兆円のシャープがそれほど巨額の投資にのめり込むことになったのは、第5代社長(当時)の片山氏の「液晶の次も液晶」という強烈な自負に基づくもの。その背景には、ブラウン管を自前で作れず家電製品の花形であるテレビ事業でソニーやパナソニックといったブランドの後塵を拝してきた歴史的コンプレックスの払拭を悲願とした4代目社長の町田氏と、液晶技術に関して世界的にも名の通ったエンジニアで、町田氏によって引き上げられ40代の若さで社長に就任した片山氏の、液晶テレビで世界企業を目指すという悲願がありましたが、片山氏が主導した堺工場が失敗に終わると、両氏の間には対立が生まれます。

本書は、堺工場への身の丈を超えた投資判断の誤りを契機として深まった社内の人事抗争がシャープに致命傷を与えたという論調をとっており、町田氏とその側近である副社長の浜野氏、それに2人と対立する片山氏が経営の舵取りを競い合う様子を「キングギドラ経営」と呼んだり、片山氏降ろしのために町田氏が後押しした6代目社長の奥田氏を「代表取締役部長」と揶揄したり、1年間の短命で終わった奥田氏の後にシャープの再建を任された7代目の高橋現社長と2人の副社長を「仲良し3人組」と表現したりしていますが、一貫しているのは経営者の能力不足と保身に対する厳しい筆致でした。

読み終わっての印象は、確かにシャープの内実を相当程度に取材しての力作であろうと思いますし、読み物としての面白さも十分ではあるものの、やはり経営目線での分析が薄いなというものでした。シャープ転落の象徴である堺工場への投資判断に際してどのような需要予測がなされ、それがいかなる市場動向の変化によってどのように外れたかを客観的なデータで分析していないために、社内抗争の不毛やリストラの悲劇といった三面記事的な興味で読ませる叙述に終始した感が拭えません。それでは、読む者を「人の不幸は蜜の味」という陥穽にはまらせるだけでしょう。また、シャープの再建に向けて国が果たそうとした役割についても、もっと書いてもらいたい。液晶技術の海外流出への懸念や、経営が破綻した場合のアベノミクスへの悪影響などを考慮し、国(経済産業省)は相当の危機感を持ってソフトランディングを模索していたはずですが、その辺りも手薄く不満が残ります。そして何より、当事者である歴代社長への直接取材による反論の機会を用意していないのは、どうみてもフェアとは言えないでしょう。

それにしても、製造業における設備投資というのは難しいものだということは強く実感されました。長らく無借金経営で高い自己資本比率を誇ってきたシャープも、たった一度の投資の失敗によって短期間に財務体質を極限まで悪化させてしまうと、主力である液晶事業へのさらなる設備投資が困難になり競合メーカーとの競争に立ち向かえなくなってますます業績を悪化させるという負の連鎖にはまってしまいます。かと言ってリスクを一切とらないのでは、経営は成り立たない。業態は違いますが、法務という立場からの事業リスク管理を職責としている自分にとっても、このシャープ連絡の軌跡にはいろいろと考え込まされました。そうした経緯をまとまったかたちで振り返ることができたという点では、本書には価値があったということは間違いなく言えます。

本書は、今年2月上旬の時点での、シャープの再建に関する産業革新機構案と台湾の鴻海精密工業の案がコンペ状態となっているところまでの記述で終わっていますが、その後、2月25日のシャープ取締役会が、現経営陣の継続及び液晶事業の存続と雇用の維持を約束する鴻海案を採用する決定をしたのは周知の通り。常に株主代表訴訟の脅威にさらされている現代の企業経営の感覚では、この決定は止むを得ないところだろうと思います。ただし、直近の報道では鴻海は本年1-3月期の績見通しが明らかになるまで契約締結を延期することを検討していると言われており、これが鴻海による駆け引きであるとしても、まだシャープの先行きに晴れ間が見えていないことには変わりがなさそうです。