近代

2016/06/10

三島由紀夫『近代能楽集』を読了。そのタイトルの通り、ここに収められているのは能楽の代表的な作品のいくつかを、舞台も登場人物も(三島にとっての)今に置き換え、ストーリーも自由に翻案して戯曲に仕立てたものです。

採り上げられている謡曲は「邯鄲」「綾の鼓」「卒塔婆小町」「葵上」「班女」「道成寺」「熊野」「弱法師」の8曲で、これらの内「綾の鼓」「弱法師」は能舞台ではまだ観ていませんが、前者に関しては類曲である「恋重荷」を、後者に関しては歌舞伎に移し替えられた「摂州合邦辻」をそれぞれ観ていますから、まあだいたい雰囲気はわかります。

邯鄲
虚無的な主人公・次郎が、かつての下女・菊を訪ねて邯鄲の枕で夢を見る。夢の世界で栄達しても相変わらず虚無的な次郎に怒った邯鄲の里の精は、次郎を毒殺しようとする。生きたいんだ!と叫んだところで次郎の夢が覚めたとき、それまで暗く死んだようだった菊の家の庭は花盛りになっていた。
主人公が得たものが無常の悟りではなく生の希望である点が原曲と異なり、暗い庭の情景を歌う合唱小鳥ははやうたわず、花はもはや咲かねど、枕にとがはあらじ、人にとがありに「西行桜」からの引用が見られます。なお、菊の役柄は『坊っちゃん』の清のような存在で、最後にずっと一緒に暮らすことになる点も趣向が似ています。
綾の鼓
法律事務所の老小使・岩吉が懸想したのは、街路をはさんで向かい合わせのビルの洋裁店にたびたび訪れる貴婦人・華子。岩吉からの恋文を読んだ華子の取巻きの男たちの策略に愚弄されて絶望した岩吉は、3階の窓から身を投げる。1週間後の夜、その幽霊に引き寄せられた華子は通りをはさんで岩吉と語り合うが、華子の正体を知った岩吉は鼓を百回鳴らすと、絶望のうちに消えてゆく。
原曲は老人の亡霊が女御を責める妄執の恐ろしさが主題ですが、ここではその道具立てを借りながらも、華子のさらなる深い渇望が岩吉を圧倒します。片思いの辛さを岩吉が嘆く台詞そりゃあ時には忘れようと思いますよ。が、まあ、忘れようとするほうが、忘れられないでいるよりよほど辛いってことがわかってくるは原曲や「藤戸」「天鼓」に出てくる忘れんと思ふ心こそ忘れぬより思ひなれをそのまま訳したもの。一方、百通の恋文と百度の鼓打ちは「通小町」の百夜通いを持ち込んだものでしょうか?
卒塔婆小町
公園の一角で99歳の老婆と出会った若い詩人は、80年前の鹿鳴館で若かりし頃の老婆=小町のもとへ百夜通う深草少将となる。小町の美貌に魅入られた詩人は禁断の言葉を口にし、老婆との100年後の再会を約束して息絶える。
憎々しいほどに口が達者な老婆の姿は卒都婆問答を連想させますが、原曲の小町が深草少将の霊に取り憑かれて物狂いを見せながら、遂には花を仏に手向けつつ、悟りの道に入らうよと解脱できたのに対し、こちらでは小町はもう百年!を待たなければならない絶望と諦観とを、拾った煙草の吸殻を並べてちゅうちゅうたこかいなと何事もなかったかのように数えるエンディングに滲ませます。
葵上
病院のベッドに横たわる葵を見守る夫・若林光と、そのかつての恋人・六条康子の生霊との対話。最後の瞬間に康子の生霊に魅入られて光が病室を後にしたとき、葵は息絶える。
横川の小聖が登場しない代わりに、康子のねっとりとした熱情と幻影に絡め取られてゆく光の姿に戯曲の中心があり、男の立場からすると、かなり恐ろしい。病室のセットが帆に風をはらんで湖上を滑るヨットに変わる舞台装置が、劇的な効果をあげたはず。
班女
芸者の花子は、一度だけ会った若い吉雄と再会を約束して扇を交換したものの、再会がかなわぬことで心を病み、今は女性画家の実子のもとから駅に通っては吉雄の姿を探す毎日。そのことが載った新聞の記事で花子の消息を知った吉雄は、実子の家を訪ねる。花子を巡って実子と吉雄は鋭く対立したが、そこへ現れた花子はもはや吉雄の顔をそれと認めることができない。落胆した吉雄は去り、実子は花子との静かな暮らしを取り戻す。
ここでは主人公は狂女の花子ではなく40歳の独身女性画家・実子になっていて、女が女を独占し飼育するという構図がなんとも倒錯的です。
道成寺
古道具屋の一室。競売にかけられた巨大な衣装箪笥は、その中に篭っていた妻の愛人である若者を主人が外から撃ち殺した惨劇の過去を持っていた。競売の場に現れた踊り子・清子は、自分の美貌を受け入れなかった若者への執心から箪笥の中に入って硫酸を顔に浴びようとしたが、箪笥の中の四方の鏡に映る自分の顔を見たとき、自らと和解することを決意する。
原曲は鐘(に象徴される安珍)への執心により蛇体となった白拍子を住僧らが祈り伏せる展開ですが、この戯曲では清子が衣装箪笥の中に入りはするものの、自ら得た悟りによって執心から解かれ、顔を上げて次の一歩を歩み出します。誰がこのさき私を傷つけることができるでしょうもう何が起ころうと、決して私の顔を変えることはできませんと言い放って「忽ち、風のごとく下手へ去る」清子には、もしこの戯曲が実際に上演されていたら、大きな拍手が寄せられたに違いありません。
熊野
実業家・宗盛が愛人・ユヤに与えた豪勢なアパートの一室。花見に連れ出そうとする宗盛に、北海道で病に伏せる母を見舞いたいユヤはあくまでも抵抗し、ユヤの友人・朝子も加勢する。しかし、そこへ宗盛の秘書によって連れて来られたユヤの母は、ユヤの恋人・薫の存在を明かしてしまう。母、朝子、秘書が去った後、窓の外の雨を眺めながらユヤは宗盛のそばにすりより、宗盛はユヤの顔を見つめる。
この戯曲は魅力的で、しかも難しい。原曲では熊野は遂に宗盛の許しを得て東へと下っていきますが、この戯曲では宗盛はユヤの企みをすべて見抜いた後に、出て行こうとするユヤに対して君は行くには及ばないよと言い、これを聞いたユヤも次第に微笑をうかべて宗盛のもとにとどまります。宗盛がユヤを手元にとどめることにしたのがユヤを愛玩品としか見ていないからだとすれば最後の俺はすばらしい花見をしたよという台詞と符合しますが、ユヤのもう何の煩いもなくなって、こうして御一緒にられるのがうれしいのという言葉には迎合の匂いがしません。もっとも、ユヤがただの人形ではなかったからこそ、宗盛にとってはすばらしい花見だったのかもしれませんが。
弱法師
家庭裁判所の一室で、空襲の中で孤児となった盲目の俊徳を拾い15年間育ててきた養父母と15年ぶりに姿を現した実の父母が対立する。しかし、そこに登場した俊徳は暴力的な言葉で次第に2組の夫婦を支配する。調停委員の桜間級子が4人を去らせた後に、俊徳は級子の前で、空襲の日に自分の目を灼いた阿鼻叫喚の炎の場面を激しく語る。それでも級子の言葉に穏やかさを取り戻した俊徳は、級子が去った調停室に1人ぽつねんと座る。
俊徳の言葉の暴力が2組の夫婦を圧倒してゆく描写は鬼気迫るものがあり、これが舞台上で演じられたなら客席は身動きもできないでしょう。それくらい俊徳の存在感は圧倒的ですが、最後に級子が不思議な役回りを演じて俊徳を悪夢から救済したと見えたのも束の間、記憶の中の空襲の炎=窓の外の夕陽の赤が消えた後、調停室の人工的な照明に照らされた孤独の中に俊徳1人を置いて去ってしまい、苦い余韻だけが残ります。

この『近代能楽集』を買い求めたもともとの動機は、昨年11月に世田谷パブリックシアターで「道玄坂綺譚」を観たからで、本来なら先に本書を読んでから舞台を観た方が良かったのかもしれませんが、舞台の印象が色褪せていなかったのでいろいろと思い出しながら読むことができました。

現代能楽集と銘打った「道玄坂奇譚」は、『近代能楽集』の中から「卒塔婆小町」と「熊野」を取り出して複雑に組み合わせた構成となっており、とても楽しめた(倉科カナさんも綺麗だった)のですが、こうして『近代能楽集』を読み終えた後で振り返ってみると、「卒塔婆小町」パートは実に見事に新たな生命を吹き込んでいたのに対し、「熊野」パートの結末は甘口になってしまっていて戯曲終盤のシュールさを再現できていなかったように感じました。一方、ここで初めて気付いたことですが、「道玄坂奇譚」のエピローグでのコマチと深草の再会の場面は、「次の百年」がたった後のことだったのかもしれません。

この文庫本に収められたドナルド・キーン氏の「解説」に書かれた読み物として能を考えてみると、あらゆる演劇の中で一番出来た時代の束縛を受けないのは能ではないかという説明には、思わず膝を打ちました。氏が言うとおり『忠臣蔵』は飽くまで徳川時代の産物で、「近代忠臣蔵」ということは不可能であろうが、『熊野』は室町時代に書かれたが当時の政治情勢や思想と全く関係がなく、時代を越えたテーマを扱っているので、三島氏は「近代」の『熊野』を書くことができたのであり、自分がここ数年歌舞伎を離れて能に傾倒しているのも、この能の持つテーマの普遍性に魅力を感じているからです。ちなみに、では『忠臣蔵』をバレエに置き換えたベジャールの「ザ・カブキ」はどうなんだ?という声が上がるかもしれませんが、あちらはテーマや価値観ではなく様式の移植(構図から動きへ)に意味があるのだろうというのが、私の見方。

なお、これまで三島由紀夫には縁がなく、また戯曲=対話のみで構成されているという特色から三島の文体のすべてを本書から読み取ることはできませんが、それでも随所に登場する語り言葉の美しさと力強さ、あの人の不幸は美しくて、完全無欠です(班女)あの人は、私が二目と見られない醜い怖ろしい顔に変貌すれば、そんな私をなら愛してくれたかもしれない(道成寺)といった逆説的な価値観の表明、「班女」「熊野」「弱法師」で見られる激情の後に一転した静謐なエンディングはいかにも魅力的です。これを機会に、せめて『豊饒の海』四部作くらいは読んでおかねばと思いました。