長刀

2016/07/20

この日は国立能楽堂で、金春流能楽師・中村昌弘師の企画による「『船弁慶』特別講座」。今年11月26日に中村師が自身の会で「船弁慶」を舞うことになっているため、あらかじめその解説をしようという企画です。

いつもの入り口から入ったら、建物の中は真っ暗……と思ったら、左手の入り口から入って階段を上がったところにある大講義室が会場でした。この日の解説は、中村師の他に観世流の武田宗典師、宝生流の髙橋憲正師、喜多流の大島輝久師の三人がゲスト参加しており、中村師の進行によってそれぞれにコメントをしてゆくのですが、これが強烈に面白い。中村師と武田氏は比較的真面目キャラなのですが、髙橋師と大島師がサービス精神ととぼけた味とのブレンドが良くて会場を笑わせてくれました。そしてそれ以上に、話が進行する中でお互いにこれまで知らなかった流儀の違いが披露されるたびに能楽師同士で「ほー」「へー」と驚きあっていて、その素での驚きぶりがまた見ていて楽しいものでした。

「船弁慶」の義経役は子方が勤めるので、最初に皆がこの役を何度勤めたかを披露し合うところからスタートしたのですが、流儀の同世代の数が多いかどうかで差が出るようで、武田師と大島師は5-10回、髙橋師は数え切れないほど。そしてこの話の流れで子役の頃の古い写真が投影されてみると早くも流儀による違いが出て、たまたま映された「一角仙人」では宝生流にはそもそもこの曲がなく、他流も観世とそれ以外では一畳台と萩屋の位置(大小前か脇座か)が逆。以下、こんな感じの話が続きました。

  • 子方時代の思い出は?
    • 〔観〕舞台をはけるときに見所から「よっ、日本一!」と掛け声をかけられてドギマギ。
    • 〔宝〕とにかく父が怖く、恐怖心で舞台を勤めた。
    • 〔喜〕「船弁慶」の前場は眠い。ぐらぐらしていて見所からくすくす笑われた。
  • 「船弁慶」のシテを初めて勤めたのは何歳のとき?
    • 〔観〕26〔宝〕36〔喜〕28。子方を使う曲ではあまり若い内にはシテをさせない。若い人がやるにしても集大成的な位置づけの曲であるようです。
  • 前シテの装束
    • 流儀によってシテが段模様を使うかどうか、中啓、面などに特色があり、互いに興味津々の様子。
  • シオリの所作
    • 〔観〕左手で2回。
    • 〔宝〕シオリは1回が基本。2回するのは「シオリカエシ」と言って深い悲しみを示す。
    • 〔喜〕シテは左手で2回、ツレは右手で1回。
  • 烏帽子の紐の結び方
    • 〔観・宝〕「道成寺」と同じく、紐を引けばいっぺんでほどける特殊な結び方。
    • 〔喜〕普通の蝶々結び。
  • 小書
    • 〔春〕「遊女ノ舞」「替ノ出」の二つ。前者は前シテの装束が壺折になったり、クセをカットして舞の中で橋から扇をかざして遠く義経を眺めやる所作が入ったりする。
    • 〔観〕「前後之替」「重キ前後之替」「白式」。「白式」では後シテの装束が総白になる。
    • 〔宝〕「後之出留之伝」のみ。前シテの所作にシオリカエシが入り、後シテの出は半幕で幕の内から「そもそもこれは……」となる。
    • 〔喜〕「真ノ伝」「波間ノ拍子」。前者は替の型が入り、前シテの舞の間にシオリが入る。もともと舞は感情表現をしないものだが、この小書のときは例外。後者は、海の上にいるからということで足拍子の音を出さない。

ついで、後シテの得物である長刀を取り出して、その使い方についての実演がありましたが、ここでも流儀によって違いが出ました。基本は上段に構えて八の字に回してから斬りこむという手順になるのですが、八の字の後に下段でキメてから斬りこむかどうか、あるいは柄のどの位置を持つかがそれぞれに違います。長刀は刃のない方でも相手を打つので、そちらをあらかじめ余らせて持つというのが宝生流、これに対して喜多流は刃を出すときは末端を握り、逆を出すときには握る位置をスライドさせるそう。また「そのとき義経少しも騒がず」でシテが長刀を肩に掛けて立ち尽くす場面で、金春流だけは刃を首の方に向け、他流は外に向けることが判明。内向きにしたら危ないじゃないかと非難された中村師が「今度さりげなく(外側に向けて)やってみようかな」と発言したところ、他流の三人は「革命になるぞ、やれやれ。11月の公演の見どころになるぞ」とけしかけていました。

最後は会場を暗くして四人での謡い継ぎとなりましたが、面を掛けずストレートに響いてくる深い声の力強さと美しさには、惚れ惚れします。その後の質疑応答の中で「流儀が違うと合唱はできないものですか?」という質問があり、そこで四人が順に「かかる例しも有明の〜」というところを順番に謡いましたが、あまり違いはない様子。しからばと髙橋師と大島師が「さん、はい」と声を合わせて謡ってみたところやはり一緒には謡えないものであることが判明しました。

こんな具合の講座でしたが、ひたすら興味深く楽しく、あっという間の2時間でした。11月の中村師の公演が楽しみです。