固着

2016/11/02

この日、取引先の某物流会社が主催したセミナーにご招待いただき、AIやIoTを活用したスマートロジスティクスの話を伺った後、近年引っ張りだこの脳科学者・中野信子先生がゲスト講師として登壇しました。TVでの露出度も高い同氏ながら私はTVを見る習慣がないので存じ上げず予備知識ゼロだったのですが、講演の内容が面白かったので備忘を兼ねてここにおおざっぱに記してみます(以下はあくまで私の理解であって、中野信子氏の講演内容そのままではないことをお断りします)

  • AIと言えば近年は将棋ソフトがプロ棋士を倒したり某棋士が対局終盤でソフトの力を借りた疑惑を持たれたりと話題だが、羽生名人が「コンピュータはデータの蓄積で強いだけなので、将棋のルールを変えれば人間が勝つ」と言ったことに感心した。このように人間の脳には変化に対応する力=可塑性があるし、実は脳そのものが死ぬまで育つ。確かにひらめきをもたらす非言語性知能は20代がピークだが、経験に基づく言語性知能は死ぬまで強くなっていくので、これらの重ね合わせのピークは50代半ばくらいだろう。もしかすると、ここにいる皆さんがその世代かもしれませんね?
  • ドゥンカーのロウソク実験という、機能的固着(ある物を他の用途に使おうとは思わない思い込み)にとらわれず発想の転換ができるかどうかを問う実験があるが、これは非言語生知能の力によって解答を導き出せるかどうかが決まる例。この実験を二つのグループにさせ、一つのグループには正解者に対する金銭的報酬を約束し、もう一つのグループには解決までに普通どれくらいの時間を要するのか計測したいという目的を告げたところ、後者の方が正解に至る平均時間が速かった。これは、人間は金銭的報酬よりもできて褒められるという社会的報酬をより好む性向があることを示している。ちなみに、この社会的報酬「だけ」で回っている団体の典型が宗教団体であり、「あなたの働きが50年後の日本を」とか「来世には必ず」などと反証可能性のない主題で信者を動かしている。いわゆるブラック企業も同様。
  • ところで、宝くじというのは自分が当たりやすいと思っている人でもそうではない人でも、実際に当たる確率は同じである。つまり、運は平等だと言うこと。しかし、新聞紙の束を渡してその新聞に掲載されている写真の数を10秒以内で答えさせ、当たれば報酬を与えるという実験を行ってみると、自分は運がいいと思っている人の方がそうではない人よりも当たる確率がはっきりと高かった。実は新聞をめくると2枚目に「この新聞には○枚の写真が載っています」と書かれてあるのがミソで、自分は運がいいと思っている人はとにかく見てみようと新聞を開くのでそのコメントを見つけることができるのに対し、自分は不運だと思っている人はどうせ10秒では数えられるわけがないと考えて中を見ようともしない、というふるまいの差が出たからである。これは、平等であるはずの「運」もそれを活かせるかどうかは受け取り手のふるまいにかかってくることを示しており、ラッキーである要素とはつまるところ「外交性」「経験への開放性」にかかっているという結論につながる。
  • ……と、これが欧米人相手の講演であればここまでできれいに終われるのだが、日本人相手の講演ではここで終わるのは不自然に感じる。だいたい、日本では「外交性」「経験への開放性」を備えた人というのは集団から排除されてしまうものであり、日本で成功する人というのは「うまくやる人」であるというのが普通である。その差の背後には「妬み」という感情がある。「嫉妬」は自分の持っているリソースを奪おうとする他者を排除しようとする感情だが、「妬み」は自分よりも上位の何かを持っている誰かへの悪感情であって、「嫉妬」は女性の方が男性よりも強いのに対し、「妬み」は男性の方が女性よりも高い。この妬み感情は、仲間内のルールに従っていない人を検出する装置として発展したものであり、こうして「社会性」を維持し続けたことが肉体的に弱い種である人間を繁殖させることにつながった。
  • こうしてみると幸福というのは欧米と日本とでは異なるのであり、欧米では達成することが幸福の尺度であるのに対し、日本ではどれだけ周囲から必要とされるかが幸福の尺度となっている。これは遺伝子レベルでも特徴づけられており、不安を感じやすくする遺伝子は日本人では97%が持っているのに対しアメリカ人では60%にすぎない(同じところからスタートして400年くらいでこれくらいの差になる)といったところにも現れている。戦争は少なく、しかし災害は多い(世界中のM6以上の地震の1/5が日本で起きている)日本という国にしがみついて何とか生き延びるために最適な遺伝子は、「外交性」「経験への開放性」の反対である「共感性」「好社会性」をもたらし、未知に飛び込まず、経験に基づく知恵=言語性知能を大事にする態度を生む遺伝子であるということができる。

ここで講演は一段落し、質疑応答コーナー。企業での女性活躍促進のために、何かアドバイスがあれば……という質問に対する先生のサジェスチョンは……。

  • 安心感を与えるセロトニンの分泌量は、男性の方が女性の1.5倍ある。女性は失うことへの恐れ、不安を抱え、リスクを高く見積もり、しかしそのことに備えようとするという性質を持つ。また、セロトニンの濃度が低いとノルアドレナリンによる攻撃性が前面に出る。したがって女性の方がノルアドレナリンの働きが強く、叱ろうとするときの厳しさは女性の方が上である。セロトニンの量は女性の場合生理の周期と連動しており、生理前や排卵時には低くなる傾向があるので、この時期は男性は女性を回避するのがよいでしょう!

……な、なるほど。

中野信子先生の語りは親しみやすい口調で、客席の反応と残り時間とを見ながら頭の中の引き出しから適当に素材を引っ張り出して組み立てる感じ。それでいて40分ほどの話が一貫したものになるのですから、やはり高い知性の持ち主であることは間違いありません。それに、おおざっぱな話のところどころに実証実験の紹介を入れて説得力を増量するレトリックの構築法は科学者ならではの特権かもしれませんが、しかしチャンスがあれば自分も使ってみたい技法だとも感じました。ここは一つ、先生の著作(もちろん論文ではなく一般向け)を読んでみて、技を盗んでみることにしようと思います。

なお、上述のドゥンカーのロウソク実験の答を私は講演の場でだいたい10秒くらいで思い付いたのですが、その後の二つのグループに分けての実験(グラックスバーグのロウソク実験)については、発想の転換や創造性を要する仕事にとってインセンティブはむしろ阻害要因になることがある、という若干異なる文脈での解釈がされることがむしろ一般的であるようです。