遊説

2018/03/11

よく晴れた日曜日……ではありますが、今日は実家へ顔を出しに行きました。この季節の実家の庭は、いろいろな花が咲き終えようとしていたりこれから咲こうとしていたりして、賑やかです。

梅、椿、木瓜、貝母(編笠百合)。

花より団子。

連敗止まらず。今度、きっちり星の定石を勉強してから戦いに臨むことにしよう。そんなわけで囲碁は早々に切り上げ、夕食のすき焼き鍋を囲みました。本来なら鍋奉行・すき焼き奉行の父が存分に腕をふるうところなのですが、昨年末に庭で転倒した際に折った手首の回復が思わしくなく、かなり不自由そう。歳をとるということは、こうして少しずつ機能を失ってゆく過程でもあるのだと実感しました。

ところで、食事をとりながらの話題は両親の生地である愛媛県の話になることが多いのですが、この日も愛媛県の偉人と言えば誰がいるか、となりました。ところが、司馬遼太郎『坂の上の雲』に出てきた秋山兄弟と正岡子規、それから子規つながりで高浜虚子と河東碧梧桐、比較的新しいところで伊丹十三は出てきますが、どうも「偉人」という語感にふさわしい人が見当たりません。作家では大江健三郎が愛媛県出身ですが、特定世代は懐かしく思うであろう川上宗薫も同県人であることは両親には言えませんでした。

しからば、愛媛県に「ゆかり」のある人はどうか。これは何といっても額田王でしょう。斉明天皇7年(661年)、百済救援軍に同行して伊予熟田津の石湯(道後温泉)の行宮に滞在し、いよいよ九州娜大津(博多港)にむけて出帆しようとするときに詠んだ熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でなは有名です。ようやく歴史上の著名人の名前が出てきてほっとしましたが、ここで母の思い出は、中学生の頃に宇和に遊説にやってきた吉田茂に頭をなでられて「しっかり勉強しなさい」と語りかけられたという話と、それと同じとき(?)にやってきた政治家・布利秋氏が講演で「私の名前は英語で言うとfoolishです」と自己紹介したという話。これには70年も前のことをよく覚えているものだと感心しました。

それにしても布利秋、who??

しかし今は何でもネットで検索できる時代。その場で調べてみると、おおよそ次のような人物でした〔愛媛県生涯学習センターのサイトの記述を抜粋〕。

布利秋(ぬのとしあき)明治20年~昭和50年(1887~1975)旅行家、衆議院議員。明治20年8月30日、北宇和郡吉野村(現松野町)生まれ。早稲田大学政経科卒業。生来旅行好きで、新聞社や雑誌社の海外派遣員あるいは外務省特務通信員となって前後18年間に世界60数か国を旅し「世界漫遊家」といわれた。昭和21年4月戦後初の第22回衆議院議員選挙に立って当選。在職1年で22年4月の選挙に落選して政界を去った。

母も長年の疑問が解けたと大喜び。さっそく中学の同級生に知らせると息巻いていましたが、「同級生」が愛媛県に今でも住んでいるなら、愛媛県生涯学習センターのサイトは既に読んでいるかもしれない……と言うこともできませんでした。