報告

2018/06/21

この日、丸の内でアドベンチャーガイズによる「ICI登山学校 エベレスト報告会」と、その後の二次会がありました。4人のクライアントをエベレストの頂上に立たせることに成功したこのエクスペディションにベースキャンプまでの同行という形で参加していた私も二次会から参加しましたが、会場内はのっけからすごい熱気。そして懐かしの泡爺、かみちゃん、ひろみさん、タムさん、みこママ、いっしーと再会を喜び合いました。

近藤バラサーブによるスライド解説がメインコンテンツですが、飲んだり食べたりおしゃべりしたりで皆さん大変忙しそう。

これは「エベレスト・ベースキャンプで先に下山するみのっちからもらったダウンのパンツを頭からかぶってみのっちの匂いを確かめているタムさん」というアレな写真にしょーがねーなーと笑う女性陣と合掌して照れるタムさんの図。

沙織さん制作の動画も紹介されました。かなりユーモラスな内容が含まれていますが、AG隊の隣にテントを張っていた栗城史多氏がああいうことになってしまったので、この動画の公開も栗城氏の事故から1カ月間封印していたそうです。

ところで、この動画では見事に山頂に到達して旗を広げている沙織さんの姿も映っています(3:21-)が、バラサーブの話によれば、それまでの間、沙織さんには相当の苦労があったそうです。高度順化のあと天候が悪い数日間をナムチェ・バザールまで降りての休養期間にあてているときに高熱を発して寝込んでいたり、エベレスト・ベースキャンプから高度を上げる中での止まらない咳のために肋骨を3本折ってしまっていたり。

かたやこの写真は、C2から左上に南西壁を見ている構図ですが、これもバラサーブの解説によれば、南西壁を登るなら通るはずのクーロワールを栗城氏は登っておらず、それより先の(一見安全そうに見える)雪面に登路を求めていた模様とのこと。そのことが事故の発生とつながるのかどうかは私にはわかりませんが、栗城氏の登攀を評価しようとする際の一つの判断材料にはなるのかもしれません。

最後に、今回のエクスペディションに参加したメンバーによる一言コーナーがあり、最初に立ったのは私でしたが、ここでバラサーブにバレルヘッド・ダッフルバッグを進呈しました。実は、ロブチェ・イーストでの登攀を終えたあとハイキャンプに戻ってきたとき、アイゼンを履いたままうろうろしていた私はバラサーブのバッグに穴を開けてしまったので、その埋め合わせをしなければとずっと思っていたのでした。このバッグのメーカーがAGのスポンサーの一つであるColumbiaであることを見てとったバラサーブは破顔一笑、喜んでもらえてこちらもうれしい。

みこママ、タムさん、かみちゃん、泡爺も順番にスピーチ。タムさんの「近藤さんは、8,000mを超えてからがやはりすごかった」が印象的でしたが、一方、ひろみさんはなぜか泣きながら謝ってばかりで何を言っているのかよくわかりません。後で判明したところでは、会費のもとをとろうと飲み過ぎてしまい、記憶も残らない状態になってしまっていたのだそうです。まったく(笑)。

ところで、今回のエベレスト隊の中で唯一サミッターにならなかった泡爺は、サウスコルのC4から頂上へアタックを始めてかなり早いタイミングで自ら敗退を決めたのですが、自分の体力=スピードと酸素量とを天秤にかけて、「ゆっくり行けば登れるかもしれないが、降りてくるときまで酸素が続かない」と判断した結果だったそうです。このジャッジをあの高所で冷静に下せるとは、すごい。

その泡爺から「自分はもうエベレストには登らないので、あんちゃんにバトンタッチする」と言われてしまいましたが、現時点でその期待(?)に応えられる自信はありません。まず自分は来週から現在の勤務先との関係が雇用契約から委任契約に切り替わり、その任期が4年間となっているので、この間は2カ月間もの長期休暇をとることは無理。この任期が終わってから高所登山を一つ二つ入れた後にエベレストに向かうとなると早くても5年後となるので、仮にお金と時間にゆとりができたとしても、それまで自分が体力とモチベーションを維持できるかが問題です。加えて、バラサーブ自身もエベレスト山頂へのガイディングは既に年齢的に難しくなってきていますから、エベレスト登頂の夢は、もっと早い時期に登れるもっと若い人に託した方が良さそうです。