母校

2019/03/15

「4年制大学の卒業証明書(英文)」なるものが必要になり、久しぶりに母校に足を運ぶことにしました。

まずは駒場にある教養学部へ。私の母校は最初の2年間を全員が教養学部で過ごし、3年生から専門学部に進学するというシステムをとっているので、4年分の就学履歴を証明するためにはこちらの修了証明書も必要になるだろうという想定です。

私が学生だった頃と比べてキャンパスが最も変わったのは、寮がなくなり、駒場小劇場も消えていることです。また、4月にこのキャンパスに現れるであろう新入生に向けた各サークルの勧誘看板が並んでいますが、かつて幅を利かせていたギザギザ書体の左翼文字看板は影も形もありません。

それにしても、和弓はあるのに我が洋弓部の看板がないのはどうしたことか……。

首尾よく申請を終えて、次は本郷へ。おなじみ赤門はスルーして、さらに先にある正門からキャンパスに入ります。

ちょうど、入学試験の結果が張り出されていました。今年もこの掲示の前で悲喜こもごもがあったのでしょうか。

かつて全共闘と機動隊との間で激しい戦いが繰り広げられた安田講堂。私が法学部に進学したときはその戦いから既に10年以上が経過していましたが、まだ講堂は閉鎖されたままの状態だったと記憶しています。

その講堂の前にある法文一号館の25番教室は主に3年生のときの講義が行われる大教室ですが、3年生までは「法学部生」というより「洋弓部生」で、学生としては不真面目。肝を据えて勉強に取り組んだのは4年生になって現役を退き、菅野和夫先生の労働法ゼミで勉強するようになってからのことでしたが、そのときに入り浸ったのはここではなく、学内の図書館です。

目的の卒業証明書はこの建物の2階にある教務係に申請書を出せばよく、後日できたところで郵送していただくことになりました。そして用事を終えての帰路、三四郎池に立ち寄ってみました。ここは三四郎が運命の女性・里見美禰子と出会った場所ですが、この日の三四郎池は、高い気温のせいか水が濁って、この日に限ってはお世辞にも美しいとは言えませんでした。