赤鬼

2020/07/01

野田秀樹『赤鬼』をDVDで鑑賞。私は主役の「あの女」を小西真奈美さんが演じた舞台を2004年に観ているのですが、このDVDは1996年の初演版で、主演は富田靖子さんです。

最初にちょっと脱線すると私は一時期富田靖子さんのファンで、映画「アイコ16歳」「さびしんぼう」「南京の基督」の3本立てオールナイトを見に行ったことがある(あの頃は自分も若かった…)くらいなのですが、この『赤鬼』での彼女の演技もまた鮮烈でした。ただ、この頃の野田芝居は単位時間あたり何語詰め込めるかを競っているようなところがあり、それが観客を置いてけぼりにしている感もなくはありません。富田靖子さんの持ち味からすると、もっとじっくり間をとって語らせてあげればいいのにと思いながらのDVD鑑賞になりました。

話を戻して、『赤鬼』を観ることにしたきっかけは、最近私のホームページの中で野田秀樹の『ザ・キャラクター』の鑑賞記録へのアクセスが急増したこと。その原因は6月中旬にこの作品が配信され、その視聴者が行った検索にヒットしたことだったようなのですが、そこから自分も連想ゲームのように検索を重ねてこの『赤鬼』に辿り着いたという次第です。

たった4人で演じられるこの作品の登場人物は、ある日浜に流れ着いた異国人(村人たちには赤鬼のように見える)、彼をかくまう「あの女」と頭の足りない兄(この2人もよそ者扱いをされている)、そして頭は切れるが嫌われ者の男。紆余曲折の末に人々の迫害から逃れた4人は小舟で海に漕ぎだすものの、漂流を続けるうちに飢餓により心身ともに衰弱し、まず赤鬼が死んでしまいます。あの女と兄も意識が朦朧となる中で、嫌われ者の男は「フカヒレスープ」を作って2人を救い、やがて嵐に巻き込まれた3人は元の浜に打ち上げられて村人に救助されるのですが、村人が作ってくれたフカヒレスープを飲んだあの女は自分が小舟の上で食べさせられていたものの正体を知って……というのがあらすじです。

そんなわけで16年ぶりに観た『赤鬼』でしたが、やはりそこには気付きがありました。

中盤、あの女と赤鬼とが2人きりでしみじみと語り合う場面。初めは通じていなかった赤鬼の言葉が徐々にあの女にも聞き取れるようになってきたある日、赤鬼が語りかけた言葉は観客の耳にもなじむ英語(とはいえやはり聞き取りにくい)になりましたが、この英語での台詞はマーティン・ルーサー・キング牧師の演説 “I have a dream…” の引用。舞台を観たときにはそれと認識できていなかったのですが、今回の鑑賞に際して本作の戯曲を読み返したときにようやくそのことに気付きました。そうした目で見直してみると、遠い昔に赤鬼の祖先が離れたという故郷の描写に見られる熱帯系のイメージも、その岸辺を離れた理由が明示的に書かれていないことも、納得がいきます。アレックス・ヘイリーの『ルーツ』を連想すれば、赤鬼にとっての「海の向こう」がどこかは容易に想像できるからです。

この芝居の主題に直結しない部分での設定ではあるものの、振り返ってみて、赤鬼を演じたヨハネス・フラッシュバーガーが白人であったことが芝居を観たときに自分が上記のことに思い至らなかった理由であったことに気付き、少しショックを受けました。