変遷
2022/03/16
一昨年、丹沢の玄倉から山神峠を越えて雨山橋へ続く道=いわゆる山神径路を歩いたのですが、この山行の記録をブログにまとめる中で「山神径路はいつから廃道になったのか」という点に興味が湧きました。
江戸時代から歩かれていたこの道は、いったん荒廃した後に2000年代初頭に神奈川県が整備して「自然公園歩道 玄倉山神峠線」として再生したものの、崩れやすい地質・地形のために数年で閉鎖された……ということはすぐにわかったのですが、どうせなら具体的にいつ通れなくなり、いつ再開通して、いつ再び通行止めとされたのかを特定したいという欲が生まれます。もっとも山道の変遷は実地に歩き続けていない限りピンポイントで時点を特定できるものではないので、代替手段としておなじみの昭文社の地図上での表現がどのように変わってきたかを追いかけることにしました。
まずは国会図書館や東京都中央図書館の遠隔複写サービスの活用を考えたのですが、所蔵されている地図は一部の年に限られていて決定打にはならず、仕方なくヤフオクで古い丹沢の地図が出るたびに手に入れる地道な努力をこつこつと繰り返しました。歯抜けの年があってもその前後で記載が変わっていなければその抜けている分は不要ですから必ずしも毎年連続的に揃える必要はなく、しかもヤフオクでの相場は1冊あたりせいぜい数百円なので経済的にはさしたる負担ではないのですが、やはり古い地図(特に1990年以前)はなかなか出物になりません。
そんなことを続けていつの間にか1年余り。少なくとも1987年の時点ではこの径路が点線(通行注意)になっていることまでは判明したものの、ではいつからこの状態になったのかがわからないままにここ半年ほど動きがなかったのですが、先日ようやく1986年版の地図を手に入れることができ、その中に山神径路が堂々と実線で示されていることが確認できました(下の地図)。
これでやっと、「昭文社の地図上では」という限定つきですが山神径路が1987年から要注意路線に変わったことが特定できたわけです。
そんなことを知って何か役に立つのか?いえ、何の役にも立ちません(笑)。しかし、このように山道は栄枯盛衰を重ねてゆくものだということが実感できると、ふだん何気なく歩いている登山道ともこれが一期一会なのかも知れないと思えるようになるのではないでしょうか。
上記で判明した変遷の詳細は、山行記録「山神径路」の下の方にある「玄倉山神峠線の変遷」というコラムに詳述しています。
また、上記と同じことをヤマレコの「日記」に掲載したところ次々に「自分の手元の資料では……」といったコメントをお寄せいただき、情報の内容を深めることができました。その中でもとりわけ有益だったのは、1972年7月11日から12日にかけて神奈川県西部を襲った豪雨災害により玄倉周辺で相当数の土砂災害が起こっていたはず、という指摘でした。つまり、1986年に実線で記されていてもそれ以前にこのルートが荒廃していた時期があった可能性が大だということを意味しています。このことは早速山行記録に反映したのですが、これは同時にネット上での発信→反響→深化という嬉しいサイクルが回った好事例にもなりました。