茅木
2023/01/22
丹沢の鍋割山と雨山峠の間に「茅ノ木棚沢ノ頭」というピークがあり、現在、茅ノ木棚山稜の途中にある1050mピークの東寄りのやや低い小ピークにその道標があります。ところが、丹沢バリエーション業界(?)ではかねて「道標は間違っている。本当の茅ノ木棚沢ノ頭は鍋割峠の西にある1108mピークだ」と語られてきました。このところこの山域に入ることが増えてきてもいるので、この際真偽を確かめてみようと各種文献を紐解いてみました。
まず「道標は間違っている」を端的に示しているのが、丹沢愛好家の中にファンが多い『東丹沢登山詳細図』(2018年新版発行・吉備人出版)です。
これを見ると1050mピークは無名沢ノ頭で、1108mピークが茅ノ木棚沢ノ頭だと明記しています(ただし「茅」ではなく「芽」となっているのは明らかな誤字)が、それにしてはこの詳細図に書かれたカヤノキダナ沢と茅ノ木棚沢ノ頭の位置関係に違和感を覚えます。もちろんこの地図の作成に当たっては丹念な考証がされたものと思いますが、それは道標を立てる人にしても同じだろうと思うので、これだけに依拠せず古い登山ガイドを見てみることにします。
1959年発行の『丹沢の山と谷』(山と溪谷社)の「カヤノキダナ附近図」では、やはり1050mピークが無名沢ノ頭で1108mピークがカヤノキダナノ頭。そして、鉄砲沢をカヤノキダナ沢と認識している点が要注目です。
ところが同じ『丹沢の山と谷』の「中津川(寄沢)源流」図では、1108mピークは鉄砲沢ノ頭(オキブドーノ頭)とされています。たとえばこの図の「沖太尾」の位置に鉄砲沢があって、同じピークを北から見れば茅ノ木棚沢ノ頭、南から見れば鉄砲沢ノ頭だと言われたならそれはそれで頷けるのですが、どうやらそういうことでもなさそう。
ぐっと遡って1941年発行の『山と高原 12月号』(朋文堂)の中の記事「寄澤を繞る山と峠」では、1050mピークが名無澤ノ頭で1108mピーク(記事中では1100m)がカヤノキダナノ頭。さらに「雨山峠道から分岐してカヤノキダナノ澤上流をよぎりオガラ澤の頭西面を捲いてオガラ澤に下るみち」への言及がありますが、これは紛れもなくオガラ沢乗越道のことですから、この「上流をよぎ」られている沢は今で言う鉄砲沢のことに違いなく、その沢がこの記事の時点では「カヤノキダナノ澤」と呼ばれていたということになります。
もうひとつ1940年発行の『日本山岳案内』を引っ張り出してみたところ、本文中に「鍋割山から西へ山稜を伝うと鍋割峠を経てカヤノキダナ澤ノ頭(1150m)、名無ノ澤ノ頭(1100m)を越えて雨山峠へ至る」という趣旨の記述があり、標高は現在とは異なるもののピークの順番からすればこれも前二者と同じだろうと思われます。
ところがこの記述がある「鍋割山・雨山・檜岳」の項に付された概念図を見ると、カヤノキダナ沢ノ頭があると書かれていた位置に鉄砲沢ノ頭と書かれていてここでも混乱が見られます。それでも鉄砲沢の位置にある沢筋につけられている沢の名は上掲の『丹沢の山と谷』や『山と高原』の記事と同じくカヤノキ棚。もしや茅ノ木棚沢と鉄砲沢とは同じ沢の異名だったのか?そうであれば1108mピークが茅ノ木棚沢ノ頭であり、同時に鉄砲沢ノ頭でもあることも納得なのですが……とここまで書いて、そういえば林班図でも鉄砲沢のところに萱ノ木棚ノ沢と書いてあったことを思い出しました。
このように、今「鉄砲沢」として認識されている沢は歴史的に見ると「茅ノ木棚沢」と呼ばれていた可能性が高い(したがって1108mピークが「茅ノ木棚沢ノ頭」であることに無理がない)ということになりそうですが、ここで再び時代を戻して2017年発行の『丹沢の谷200ルート』(山と溪谷社)を見てみます。
ここでは茅ノ木棚沢は『東丹沢登山詳細図』で「無名ノ沢」とされている沢がそれだと記してあります。そうなれば確かに1050mピークが茅ノ木棚沢ノ頭ということになりますし、道標の位置もこの同定と同じ解釈で設置されているのだということがわかります。ただしこの沢の地形的な特徴は、上記『日本山岳案内』が「名無ノ澤」について説明している「雨山峠北方の突起より西方に降下する、尾根の中間を流下する可成の澤であつて、友信休泊所上流にて玄倉川に注いでゐる」という記述と一致していることを指摘しないわけにはいきません。
最後はこちら、神奈川県自然環境保全センターの手になる『丹沢大山国定公園・県立丹沢大山自然公園・県立陣馬相模湖自然公園区域図』(2014年6月)です。ここではもちろんカヤノキダナ沢が道標のあるピークに向かって突き上げており、その1本下流が(オツボ沢ではなく)名無沢とされていますが、目を引くのは鉄砲沢と一般に認識されている沢にカトロ沢という名前が付されている点です。国と県とで沢の名前がまるで違うというのはすごいことですが、ユーシンあたりの道に「幽神線」と書かれているのも面白い。ユーシンには湧津・友信などいろいろな字が当てられていますが、1955年の神奈川国体のときに県庁内で幽神の表記が生まれたようだという話(小木満「西丹沢拾い話」『足柄乃文化』第28号(山北町地方史研究会 2001年3月))を読んだことがあって、それとも合致するなと思いながら眺めました。
閑話休題。
このように百家争鳴の中で、皆さん何をもって自分の同定が正しいと判断しているのか明記されていないので混迷は深まるばかり。沢の名前や山の名前が時代と共に変遷することがあることは理解するものの、せめて同時代の資料で登山者向けに作られている『東丹沢登山詳細図』と『丹沢の谷200ルート』とは一致していてほしいものです。あとは機会を得て松田警察署三保駐在所に代々伝わるという『西丹沢頂稜河川土地名称図』を見に行ってみるかな……。
結局のところ「茅ノ木棚沢ノ頭」がどこかという命題は「茅ノ木棚沢」とはどの沢なのかという命題に置き換わったわけですが、ここでは結論めいたものを出そうとするのではなく、上記のような資料が存在することの提示にとどめておきたいと思います。どなたか、追加情報をお持ちの方がおられたらご教示ください。