千筋
Memo 1261 - 能楽五流流儀横断講座「土蜘」芸能
2026/07/08
この日は国立能楽堂大講義室で金春流能楽師・中村昌弘師の企画による「流儀横断講座『土蜘』」。講師陣は例によって金春流:中村師、観世流:武田宗典師、宝生流:高橋憲正師、金剛流:宇髙竜成師、喜多流:大島輝久師の五人です。能「土蜘」はつい先日、中村昌弘師の会で拝見したばかりで、今回のように予習ではなく復習というかたちでの講座は異例かもしれません。
まず中村師が「土蜘(蛛)」のあらすじを説明してから残る四人の講師が登壇し、中村師の司会によって以下のように講座が進められました。
◎ここからいくつかのテーマを設定して解説が行われましたが、その場で説明されたことのすべてを正確に書き留められてはいないこと、また下記のメモは必ずしも当日の解説の時系列に沿っているとは限らないことを最初に断っておきます。
- 曲名と小書
- 曲名
- 〔春〕〔観(梅若会系統)〕〔宝〕は「土蜘」。あえて二文字とする由来は不明。
- 〔観(観世会系統)〕〔剛〕〔喜〕は「土蜘蛛」。
- 小書
- 〔春〕〔宝〕〔喜〕には小書なし。
- 〔観〕《黒頭》《入違之伝》。
- 〔剛〕《千筋之伝》《替装束》《曲入》。
- 曲名
- 出立
- 前シテ
- 沙門帽子僧出立というところはおおむね共通ですが、水衣を黒無地とするか縞とするか、白大口を穿くか着流しとするかは流儀により、あるいは演出により変化があるようです。
- 後シテ
- こちらも基本は赤頭に面は顰しかみ、法被半切という出立で、〔春〕では打杖を持つために糸を投げるのは左手だけなのに対し〔観〕では杖を持たず両手で投げる、〔観〕の《黒頭》のときは裳着胴、〔宝〕では同じ日に赤頭を用いる曲が演じられるときは黒頭にしてもよい、〔剛〕の《替装束》のときは〔観〕の《黒頭》と同様の出立……といったバリエーションあり。
- 後シテの出立を写真で見せる中で示された蜘蛛の巣の違いが面白く、特に〔剛〕の巣は糸の太さが際立っていたのに対し〔喜〕は妙にすかすか。さらに、宇髙師が後ろ向きに蜘蛛の糸を二発投げ上げたあと仏倒れを見せる動画が披露されて客席は大喜び。そこから話が発展して「何発投げるか」という話題になりました。
- 〔春〕前五発+後六発。
- 〔観〕前は最低三発(増えることあり)+後九発。《入違之伝》ではシテが幕に入ったときに後見も幕の中から投げる。
- 〔宝〕前一発+後四発。とても控えめ。
- 〔剛〕前七発+後十三発、《千筋之伝》になると前十発。後見も投げて見た目を派手にするようですが、一発二千円もする(京都ではもっと高いらしい)ので実にセレブ。周知の通り「土蜘(蛛)」の人気の秘訣である千筋の糸は幕末〜明治初期の金剛流家元・金剛唯一師が考案したものです。
- 〔喜〕前五発+後九発。
- 前シテ
- 作リ物
- 後場では塚が大小前に置かれますが、〔観〕のみ一畳台は前場が終わったら下げらるのに対し、他流は前場で脇座にあった一畳台が後場に入る前に大小前に移動して、そこへ塚が乗せられることになります。しかし、同じく台を使う場合でも独武者たちとの戦いの中で後シテが台の上に上がる場面があるために流儀によっては塚を一畳台の中央ではなく見所から向かって右(笛側)に寄せたり(喜)、後見がこまめに塚の位置を動かしたり(宝)といった違いがあるそうです。また、先日観た中村氏の舞台〔春〕では最後にシテは一畳台の前に安座した状態で終曲を迎えていましたが、〔観〕では塚に戻る、〔喜〕では切戸口に下がる(ことが多い)といった違いも披露されました。
この日のメインイベントとなったのは、塚の製作実演です。壇上に持ち込まれたパーツをもとに一人がマイクを握って説明しながら残りのメンバーが手分けして塚を組み立ていくのですが、これにも流儀による違いがあり、たとえば枠に巻く白いさらし布(ぼうじ)を〔春〕〔宝〕は下から上まできっちり巻くのに対し〔観〕〔剛〕は床几に掛けたシテの肩の高さまで、〔喜〕は足元だけ(その代わり枯れた味わいのよい竹を使う)。塚の上に載せる榊はどうやって留めているのか今まで知らなかったのですが、塚の枠組みの上に大きさの異なる竹の輪を三重に重ねて止め、そこへ乗せたり挿したりして紐で止めていました。続いて巣を張る段では紙テープを使って手際よく巣が作られていきましたが、宇髙師は紙切り芸よろしくピザのピースのように折り畳んだ紙にハサミを入れて巣を作る技を見せてくれました。なるほど、これなら糸が太くなるはずだ。また後シテの出立を見比べる中で〔喜〕がすかすかに見えたのには理由があって、他流の巣が同心円状であったのに対し〔喜〕の巣は螺旋を描くように作られていました(実は本物の蜘蛛の巣も螺旋状です)。他にも〔宝〕では巣の中心を真ん中ではなくシテの左目に合わせるとか放射を描く縦糸の本数が八本ではなく六本だとか、実に興味深いコーナーになったのですが、いくら言葉で説明してもその面白さは伝わらないので、もしこの講座のアーカイブ配信を見られるようであれば、ぜひ視聴することをお勧めします。
- 謡
- 謡い継ぎ
- 武田師:「その時独武者進みいで、かの塚に向かい」〜。
- 宇髙師:「下知にしたごう武士の」〜。
- 中村師:「汝知らずやわれ昔」〜。
- 大島師:「その時独武者進みいで、その時独武者進みいでて」〜。
- 高橋師:「しかりとは言えども」〜。
- 作り物の製作のときは和気藹々と(ときには互いにツッコミを入れながら)共同作業をしていた五人が舞台上に着座し、表情を改めて謡い始めると途端にその場の空気が変わるのは、毎度のことながらプロの凄さを実感します。特に、謡われた場面は独武者たちが土蜘蛛を追い詰めて討ち果たす闘争の場面なので、その謡の音圧が講義室を圧するようでした。
- 謡い継ぎ
- 型
- 作リ物製作の実演の最中に場繋ぎ的に宇髙師が紹介した驚愕の型は、舞台のシテ柱の近く(脇正面側)から橋掛リに向かって跳躍し、高欄に両手をついて宙返り(宇髙師曰く「ハンドスプリング」)して橋の上に降りるというもの。ほとんど体操競技の跳馬のようなこの荒技には他の出演者も「欄干を飛び越えるだけというのはあるけど」とびっくりしていましたが、小書がついていることによってこうした荒技が必要となる場合は、年配だからといって省略するわけにはいかないのだという恐ろしい話も披露されていました。
- 最後の質疑応答コーナーの中でも質問が出ていましたが、宇髙師曰く、仏倒れはプロであってもムチウチのリスクがあってやはり危険。大島師に至っては一回やったからもういい(こりごり)といった表情でしたが、高橋師は「わりと得意」と涼しい顔でしたし、武田師は「飛上リ安座や宙返リに比べたら怖くない。テクニックじゃなくてハートです」とあの爽やかな笑顔で言い切っていました。なお、金春流にはそもそも仏倒れがないのだそうです。
- 番組表の表記ほか
- 地謡の序列は流儀によって次のとおり。

- 後見の序列は流儀によって次のとおり(下段は三人以上の場合)。

- 東西南北の違いも説明されましたが、これはこのブログの中でこれまでにも何度か紹介しているので省略します(たとえば〔こちら〕)。ただし留意点としては、東西南北が正確に十文字の方角になっているわけではないこと。また、大島師の「京都で名所教えを行うときは実際にそれらがある方向を向く」という話にはなるほど!と感心しました。確かに、見所にいる京都人たちは実際の寺社配置を把握していますから、言われてみれば納得です。
- 地謡の序列は流儀によって次のとおり。
最後に、千筋の糸が盛大に投げられて講座は終了です。
なお、このフィナーレの前に出演者の今後の公演情報のPRがあったのですが、その中で大島師が今年の終戦記念日にも新作能「巣鴨塚 ハルの便り」を上演することと、まだ残席があることが紹介されました。この作品は昨年8月に初演され、12月にも再演されていて、私が観たのはこの再演の機会だったのですが、この作品を観た後でまとめた感想の中では本作の再演はあり得るのか
とやや懐疑的な書き方をしていました。しかし、こうして再演が決定しているということは、本作に対する評価が高いということの表れなのだろうと思います。戦争責任に関する考え方は人さまざまだとしても、多くの人が本作を観て先の大戦を振り返るよすがとすることは意義深いことだと私も考えます。