五頭

Memo 1259 - 登山転じて温泉旅行

〈娘たち〉トモミさん・エリーとのしばらくぶりの山行は、エリーのリクエストで新潟県阿賀野市の五頭山を目指すことになりました。この五頭山は新潟平野を間に置いて西に聳える弥彦山と共に信仰の山として知られる存在だそうで、そういう抹香臭い山が好きな私も楽しみにしていたのですが、以下に記すように天気に恵まれず、旅立ちはしたものの登山にはなりませんでした。というわけで、本稿は「山行記録」ではなく「備忘録」の方に掲載しています。

2026/05/23

旅の始まりは上越新幹線で新潟まで行き、在来線を乗り継いで阿賀野市の中心部にあたる水原すいばら駅へ。

車窓からは、田植えを終えたばかりの水田の広がりの向こうに五頭山が見えています。五頭山は今では「ごずさん」と読まれていますが、かつては「いつつむりやま」だったそうで、今日の泊まり場となる出湯の近くの登山口から登ると尾根上に五ノ峰から一ノ峰まで五つのピークを辿ることになり、平地からはそれらのピークがほぼ同じ高さで横に並ぶ特徴的な山容を眺めることになります。今回の山行の計画は、初日は五頭山の麓にある出湯温泉に泊まり、翌日に早朝から五頭山に登って五峰の奥にあるピークに達した後、この山域の最高峰である菱ヶ岳まで縦走して村杉温泉へ下ろうというものでした。

水原駅で列車を降りると駅前からも五頭山が見えており、しばらく周辺を散策しているうちにイメージキャラクター「ごずっちょ」のマークをつけた乗合バスが到着しました。なんと料金は100円ぽっきり。我々のような観光客ばかりでなく、地元のお年寄りの足にもなっているようでした。

バスは出湯温泉まで通じているのですが、我々は立ち寄るところがあるために途中下車します。歩く道すがらからも五頭山を間近に見上げることができました。

まずはコンビニで時間調整かたがたおやつを買い求め、近くにあるお堂の前で小休止。お堂の説明書きによれば、このあたりを流れる大荒川はその名の通りの暴れ川で、かつては頻繁な土石流をもたらしていたのだそうです。そのことによってもたらされた礫の石原は「賽ノ河原」と呼ばれ、被災者を供養するための地蔵尊や経塚、小石積みの石塔などによって霊場としての雰囲気が形作られていたようです。

グルメ

さて、上で「立ち寄るところ」と書いたのはまず釜めしの「五頭の山茂登」です。なにしろレディースの二人とも名うての旅グルメなのでこうしたプランニングはお手のもの、あらかじめの予約もばっちりです。

私とエリーはオーソドックスに五目釜めし、トモミさんは鯛釜めし。マグロ生ハムサラダと卵焼きもつけて卓上は見るからに豪勢なものとなりました。こちらの釜めしには「ご飯をかき混ぜない」「食べている間は蓋をする」という二箇条のルールがあり、これを守るとおこげも含めて最後までおいしくいただけるという寸法です。実際、熱々の釜めしはこの上なく美味で、一同大満足のランチになりました。

上の地図の左下に描かれているのが「五頭の山茂登」で、そこから出湯温泉までは食後の腹ごなしにちょうどいい歩行距離ですが、まだこの時点では宿のチェックインが始まっていません。

そこでリュックサックを背負ったまま次に向かったのは「出湯温泉パン工房」です。天然酵母とラジウム温泉水を使用したパンは人気で売切れ御免となりますが、そこはエリーのこと、ぬかりなく電話で取り置きをお願いしてあります。それぞれに魅力的な各種のパンがある中で、エリーがゲットした五頭あんぱんは五種類のあんぱんが連結されて五峰をなしているというありがたい一品。五頭山の五峰は五ノ峰から一ノ峰へ順に地蔵菩薩・毘沙門天・不動明王・薬師如来・観世音菩薩になぞらえられるのに対し、こちらはマロン・つぶあん・うぐいす・こしあん・紫いもという組合せです。実にそそられるものがありますが、しかしエリー、これを一人で食べるのは大変なのでは?

華宝寺

明日の登山の行動食を確保したら、次に向かったのは私のお目当てであり、五頭山信仰の中核施設である華宝寺です。

境内の由緒書によれば、この寺は御多分に洩れず空海により開創された五頭山海満寺福性院以下三十八坊を前身とし、一度は衰微したものの室町中期に曹洞宗に改宗して五頭山華宝寺となったものだということでした。

また、この旅をきっかけとして手に入れた中野豈任『忘れられた霊場中世心性史の試み』(平凡社 1988年)によれば、五頭山塊は砂鉄を産し豊富な薪炭を供給できるため周辺には製鉄遺址が多く見られ、製鉄業と関わりを持つ熊野修験[1]の活動が盛んであったものが、やがて浄土信仰が浸透すると周辺は浄土的霊場に変じていき、そうした五頭山信仰の中心にあったのがこの寺だということです。もっとも、密教から興り後に禅宗に衣替えした華宝寺では浄土信仰にそぐわないのでは?という疑問がすぐに湧きます(由緒書を読んで私も首をひねってしまいました)が、中野豈任氏は出土品の内容を踏まえて華宝寺の実態は浄土的霊場の中に位置づけられる存在であり、現在のわれわれが考えるような禅宗寺院ではなかったのではなかろうかと述べています。

境内はさほど広いものではありませんが、正面の本堂は新しくて立派な造りをしており、その左の平坦地や右奥の山中にお堂を構えて往時の繁栄を偲ぶよすがとなっています。

また境内には華宝寺共同浴場があって、温泉フリークのエリーは上の写真の右の古風な佇まいに惹かれていたのですが、今年4月に左の新しい施設がオープンしたため、右の建物は閉鎖されていました。ひっきりなしに車が乗り付けられて賑わいを見せるこの温泉は弘法大師秘密加持の霊泉とされ、山岳霊場としての五頭山、先ほど見た賽ノ河原と共に華宝寺を中心とする信仰上の重要ポイントです。

再びグルメ

投宿する前にもう一つ訪れたのは「愛着珈琲 出湯温泉喫茶室」です。

2018年オープンのこの喫茶店は、民家の作りを生かしレトロな調度と小物を揃え、静かなBGM(我々が入ったときはMiles Davis『Bags' Groove』)が落ち着いた雰囲気を醸し出していました。トモミさんとエリーはそうした「大人のムード」をわきまえておしゃれにスコーンを注文したのに、私はボリュームMAXのパフェ。子供すぎる……。

出湯温泉 清廣舘

頃合いもよし、いよいよこの日のメインイベントである「清廣舘」に投宿です。

「日本秘湯を守る会」の秘湯リストに入っているこの「清廣舘」は創業150年、昭和3年に建て直された木造三階建ての純和風旅館で、もともと五頭山をこの山旅の目的地としたのは、秘湯巡りに命をかけているエリーのここに泊まりたいという動機に由来しています。

国登録有形文化財に登録されているこの建物は、外観も内装もすばらしい。随所に職人の匠の技が見てとれます。

「ラジウム泉、ぬる湯、自噴源泉100%掛け流し」を謳うこちらの浴室は、女風呂はやや狭めの檜風呂、男風呂は広めのタイル張り。湯は空気に触れさせることなく湯船の底からじんわりと湧出し、適度にぬるめの湯温のおかげでいくらでも長くつかっていられます。

料理も手の込んだものが各種並んで、味覚と視覚の両方で楽しむことができます。おかげでついついお酒が進んでしまい、翌日の二日酔いが少々心配になるほどでしたが、大丈夫!なにしろ明日の天気予報は「雨」ですから(泣)。

2026/05/24

一応5時には起床しましたが、予報の通りに外は雨。それでも7時くらいにはやむのではないかと期待しながら布団を畳みます。

6時オープンの朝風呂につかって部屋に戻ってもやはり雨。昨日買ったパンをぱくつきながら悶々としているところへ宿の方から電話が入り、登山は無理ですよね?朝食を召し上がりますか?とお声掛けをいただきました。実は早出のために朝食はおにぎり2個の弁当にしてもらい既に受け取っていたのですが、出立が遅くなるのであれば通常の朝食も出しますよというありがたいお話です。

お言葉に甘えて充実した朝食をいただき、その後しばらく寛いで宿を出たのはようやく雨が上がった10時頃でした。「清廣舘」さん、ありがとうございました。次回、五頭山リベンジの際には再び宿泊させていただきたいと思います。

やまびこ通り

登山がなくなってしまったので、この日は山麓をゆったりと散策します。

そうは言ってもせめて登山口くらいは見ておこうと「弘法五頭登山口」の石柱を見ながら横道に入り、そこにある神社にもお参りしてみました。この神社は鳥居の扁額の文字もかすれ、三つ巴紋を掲げた拝殿も荒れていかにも「廃業しました」という雰囲気だったのですが、境内には多くの石碑が並んでいて、そこに彫られた「湯殿山」の文字が羽黒修験との関係を思わせました。

先ほどの「弘法五頭登山口」の石柱の先の道はどうやら悪路のようだったので、いったん国道に出てからアプローチしなおして、五頭山の登山口を視認できる場所まで進みました。きっと次回こそは、ここから登りたいものです。それはそれとして、ここから五頭山塊の山麓を南に向かってうねうねと進むよく整備された舗装路(林道)は「やまびこ通り」と呼ばれ、4km強の区間に250余りの歌碑や句碑が並んでいます。

当初はここを歩くつもりはなかったのですが、とりあえず東屋があるところまで行ってみようかと歩き始めたところ、この道の雰囲気があまりに良くて、途中から引き返すという選択肢がなくなってしまいました。碑に彫られた作品は短歌と俳句が主体ですが、詩のようなものもあれば楽譜もあり、何やら哲学的な循環の原理を示す図表もあったりして、ついつい声に出して読み上げてしまいます。それらにあやかって、トモミさんもエリーもそれぞれ一句。

つつじ咲く やまびこ道に 笑顔咲く
五頭あんぱん ずっしり背中に 重荷かな

この道はまた、白い花をつけた草木が目立ちました。目の高さにはヤマボウシやエゴノキ、足元にはシロバナタツナミソウ。朴の木の花というのは初めて見ましたが、こんなに大きく立派な花をつけるとは知りませんでした。

途中にある展望台からの眺めはすばらしいものでした。五頭山麓から西に広がる新潟平野を一望でき、その彼方には双耳の形をした弥彦山や角田山、さらに佐渡島まで見えています。あいにく金北山の頂稜付近は雲に隠れているようでしたが、こうして見るとその意外な近さに驚かされます。

上述の『忘れられた霊場中世心性史の試み』には、こういうくだりがあります。

北蒲原郡の水原町や京ケ瀬村方面から五頭山を望むと、朝日は五頭山頂から昇り、夕陽は地平線上に孤島のように浮かんで見える弥彦山塊の背後に沈んでゆく。華報寺の境内からは弘法大師お授けの湯といわれる温泉(泉窟)が湧出し、古くから人びとに利用されてきていた。温泉には薬師加来が祀られる。五頭山と華報寺は薬師如来の東方極楽浄土、対する弥彦山は西方極楽浄土、と考えられていたのかも知れない。

こうして見ると確かに、弥彦山もまた霊場であったということが自然に感得されてきます。そして、ここからですらすばらしい眺めが得られるのであれば、五頭山の上からはどのような展望が広がっていることかと、再訪問の機会が待ち遠しくなってきました。

村杉温泉 薬師乃湯

やまびこ通りの終点から少し下ったところにあるのが村杉温泉で、せっかくなのでここで一汗流していくことにしました。

村杉温泉の由来は1335年、足利家の家来だった荒木正高が薬師如来の霊夢を感じて発見したと伝えられ、国内有数のラジウム温泉(単純放射能泉)として知られているそうで、温泉街としての賑わいは出湯温泉よりもこちらの方が明らかに上。共同浴場である「薬師乃湯」に入りましたが、適度な熱さのおかげで身体の凝りが一気にほぐれるようでした。

さらにグルメ

次は「薬師乃湯」から徒歩数分の「川上とうふ」さん。昭和4年の開業以来、素材にこだわり続けてユニークな各種豆腐を作り続けた名店とのことです。カラフルな試食セットを味わい、各自いくつかお買い上げの上で、店内で寛ぎながら豆乳もいただきました。ちなみに私は週末限定だという紅豆とうふを買い求めて帰宅してから食しましたが、醤油ではなく塩をかけると絶品でした。

村杉温泉にタクシーを呼んで、水原駅から徒歩20分ほどのところにある瓢湖を目指します。車は平地の中を安全運転で走ってくれましたが、その車窓からは前方遠くに弥彦山の姿がはっきりと見えていました。

瓢湖は17世紀に用水池として作られた人造湖で、冬になると多い年では6,000羽もの白鳥が飛来して越冬し、「水原のハクチョウ渡来地」として国の天然記念物に指定されているほか、ラムサール条約の登録湿地にも登録されているそうです

我々はここでベンチに腰掛け、「清廣舘」にもらったおにぎりをランチとしていただきながら、湖面の彼方の五頭山塊を眺めました。しかし、やはり厚い雲が山頂に覆い被さってしまっており、たとえ雨が早く上がって登山ができたとしても展望は得られなかっただろうと思うと諦めがつきました。

最後の訪問地は、瓢湖の畔にあって昨年オープンしたばかりのカフェ&ショップ「ikkoku CHOCOLATEI & SUZUKI COFFEE。その謳い文句の通りにコーヒーとチョコレートの極上ペアリングを味わいました。それにしても、トモミさんとエリーのグルメレーダーの感度には驚くばかりです。

すべてのアクティビティを終えて、瓢湖から20分ほど歩いて水原駅に戻ってきました。

帰路は新潟ではなく長岡に出て、そこから上越新幹線で帰京です。車窓から見える五頭山に捲土重来を誓って、阿賀野市を後にしました。

こんな具合に登山転じて温泉旅行となってはしまいましたが、いつものようなせわしない山旅とは違って〈娘たち〉との旅は穏やかに楽しく、さらにこの地方の宗教的歴史背景を学習する機会にもなって実り多いものでした。トモミさん・エリー、ありがとう。

脚注

  1. ^熊野修験と鉱業との関わりについては、たとえば〔こちら〕も参照。