地雷

2000/01/22

民族解放軍クメール・ルージュの聖域とされていたアンコール・ワットを撮影することに命をかけ、1973年11月に消息を絶ったカメラマン・一ノ瀬泰造を描く『地雷を踏んだらサヨウナラ』(五十嵐匠監督 / 浅野忠信主演)を、渋谷シネ・アミューズ・ウエストで観ました。本作は、奥山和由氏が松竹退社後初めてプロデュースした作品でもあります。

1972年、クメール・ルージュと政府軍の闘争が激化するカンボジアで、一ノ瀬泰造(浅野忠信)は、白人カメラマン・ティムや高校教師で泰造の親友でもあるカンボジア人ロックルーらに囲まれながら、フリーランスのカメラマンとして戦場を駆け回るうちに、クメール・ルージュが支配するアンコール・ワットを撮影することにのめりこみ始める。その執拗なこだわりを危険視した政府軍によって国外退去を命じられた泰造はベトナムに渡り、そこでティムと再会するが、彼は泰造の目の前で砲撃に倒れる。ティムの行きつけのカフェを訪れた泰造は、ウェイトレスのレ・ファンと出会う。彼女に魅かれつつもアンコール・ワットへの憧れを募らせる泰造は、レ・ファンの伯父のつてでメコン川を上る輸送船に乗りカンボジアへ密入国することに成功する。親友ロックルーの結婚式に立ち会いその姿を写真に収めた泰造は、1人自転車に乗ってアンコール・ワットを目指すが……。

カンボジアの大地や空が広がる画面の中を、26歳で短い生涯を閉じた戦場カメラマンを演じる浅野忠信が駆け回り、アンコール・ワットの圧倒的な存在感が深い余韻を残してくれます。もっとも脚本は全体に説明不足で、ある程度東南アジア現代史やロバート・キャパ、沢田教一ら従軍カメラマンの仕事についての基礎知識を求められます。それがないままこの映画に正面から向き合おうとすると、主人公に感情移入するどころかストーリーを追うことすら難しくなりそう。そうした劇映画としての欠陥を辛うじて補うのが、資料集としても充実したプログラムと美しいアンコール・ワットの映像、浅野忠信の熱演です。

その浅野忠信演じる一ノ瀬泰造がなぜアンコール・ワットに取り付かれたかといえば、それはカメラマンとしての功名心ということに尽きます。ここでのアンコール・ワットは荘厳な古代遺跡ではなく、クメール・ルージュの司令部としての存在(したがって撮影が極めて困難な被写体の象徴)でしかありません。しかし、丘の上から遠くアンコール・ワットの尖塔を眺めたときから彼の中で何かが変わり始め、やがて周囲で親しい人々が亡くなっていくにつれて、彼の功名心は別の思い入れへと昇華していきます。

したがって映画を見る側は、一見時系列に沿ってエピソードを羅列しているだけのように見えるストーリーの中から、彼のアンコール・ワットに対するこだわりの質が何によってどのように変化していったのか、そしてそのことが彼の無謀とも思える死に、それを納得させるだけの価値を与え得たのかどうかに思いを巡らすことになります。

映画の中では、昨年自分がアンコール・ワットを訪れたときに登ったプノン・バケンから遠く望まれるアンコール・ワットに泰造が思いを馳せるシーンがあったり、ベトナムとカンボジアの民族的な対立感情が(ベトナム側から)描かれていたりと、自分の旅を追体験することにもなりました。もちろん現在のカンボジアでは戦争は終わっており(内戦終結は1991年)、一ノ瀬泰造が活動の拠点としたシエム・リアプの町には新しいホテルが立ち並んで外国人観光客が数多く滞在していましたが、町中にはHALOトラストという名の地雷撤去チームの事務所やポル・ポト派による粛清が行われたキリング・フィールドなどが残っており、また外務省の海外危険情報ではこの地に対して危険度レベル1=「注意喚起」が適用されています(2000/01/22現在)。

実際に一ノ瀬泰造がアンコール・ワットに辿り着けたかどうかは定かではありません(1982年に死亡が確認されてはいます)が、映画は、解放軍に捉えられた泰造が逃走し、最後に銃で追い詰められながらもアンコール・ワットを目の前に仰ぐシーンで終わっています。これは見る側としても、そうであって欲しい、と思えるラストです。また、エンディング・タイトルでのコメントによれば、ロックルーはその後処刑され今はその妻がシエム・リアプで教師をしており、一方レ・ファンは行方不明になっているとのこと。

さまざまな生命がいともたやすく奪われていったベトナム戦争 / カンボジア内戦とはいったい何だったのか、わずか10年前にそのような歴史を経てきたインドシナの地に観光客として訪れた自分は何を見てこなければならなかったのか、などといろいろと考えされられる映画でした。