天塩

毎年おなじみ、今年も北海道の山を目指して渡道しました。今回は、これまで雨で流れて宿題になっていた天塩岳と暑寒別岳を片付けることとしました。

2001/09/22

アメリカでの同時多発テロの影響で慎重になっている手荷物検査で乗客の搭乗が遅れたうえに、強風のための滑走路変更が重なり、羽田空港を8時55分発の飛行機が実際に飛び立ったのは9時35分。高度を上げるとすぐ窓の外に筑波山の意外なほどに立派な姿が見えました。さらに雲の上に出ると、今度は富士山が雪を冠っているのが見えます。「♪筑波のみどり、富士の白雪〜」とは我が母校の校歌の一節ですが、まさにその通りの眺めでした。

1時間半程のフライトで北海道在住の友人であるカト氏・スー氏の待つ旭川空港に到着。小雨模様で気温は10.4度と低いものの、明日は晴天との予報を聞いているので心配はしません。ここのところヒグマがあちこちで目撃されているとの事前情報を得ていたので、まずは空港の売店でクマよけの鈴を買ってからカト車に乗りました。今日の宿は天塩岳に近い協和温泉ですが、まだ十分に時間があるので当麻鍾乳洞を見学しようという計画です。極度にもの寂しい当麻駅前の食堂でチャーシューメンを食べてから鍾乳洞へ。決して規模の大きな鍾乳洞ではなく、芝居がかった照明が不粋な感じもしないではありませんが、鍾乳管と呼ばれる中空の鍾乳石やカーテン状の鍾乳石などが面白く、けっこう楽しめました。

さらに車で移動して上川町にあるアイス・パビリオンへ。ここは館内が零下20度に保たれていてダイヤモンドダストなどを見ることができる上に、ある一室ではかつて旭川で記録された零下41度の極寒が体験できるのが売り物ですが、北海道生活が長いカト・スー両氏は「体感温度でならもっと寒い目にも合ったことがあるな」という顔をしていました。

このパビリオンの近くにクマ牧場があり、これからヒグマの住む山に登ろうとしている我々としては、そちらの方がお目当てです。ヒグマたちは檻に囲まれて10頭以上もうろうろしており、それぞれが巨体。確かにこんなのに山中で出会って時速60kmで追い掛けられたらどうしようもなさそうです。

しかし、ここのヒグマたちはビスケットのような餌をねだるために客に向かって仰向けに手足を広げるという芸(?)を覚えており、なんだか可哀想な気もしてきました。

頃合もよく愛別町の協和温泉に到着、何はともあれ風呂に入って汗を流しました。風呂からあがって部屋で待っていると仲居さんが夕食の支度をしてくれて、大きな鍋にカト氏が中を見たそうなそぶりを見せると、「いいですよ。じゃ〜ん」と蓋をとって見せてくれました。この愛別町はマイタケの生産に力を入れている土地らしく、鍋の中にはシメジやマイタケなどのきのこ、それに山菜が盛り沢山。ビールで乾杯し、所狭しと並べられた料理や鍋に舌鼓を打ちましたが、量が恐ろしく多くて、とても食べ切れません。しかし、明日はいよいよ懸案の天塩岳登山の日なのであまり無茶もできず、泣く泣く鍋の中身を残してしまいました。

2001/09/23

午前4時40分に起床。外を見ると朝靄の上は晴れ渡っていて絶好の登山日和です。フロントグラスの氷をがりがり落とし、きれいに舗装された峠道を走って林道を奥に進むと立派な三角屋根の無人小屋=天塩岳ヒュッテに到着しました。宿で作ってもらったおにぎりを車の中で食べ、足まわりを整えてから天塩岳へと向かいます。登り4時間、下り2時間の周遊コースは上の方で雪に覆われていましたが、天塩岳山頂からは大雪や十勝の山々が白銀の姿を間近に見せていただけでなく、遠くに阿寒・斜里、そして何と知床の山々まで見通すことができて大満足の山岳展望でした(山行の詳細は〔こちら〕)。

登山口に戻り着き、キタキツネの見送りを受けながら林道を戻って、今宵の宿がある増毛へ旭川経由で向かいます。国道39号を旭川に向かう途中、伊香牛の近くで石狩川を渡るところで、正面に大雪〜トムラウシ〜十勝連峰が一直線に居並んでいる光景に出くわし感動しました。こちらからは愛別岳や北鎮岳がぐしゃっと一塊になっている右に旭岳が1人すっくと立ち上がっていて超立派。またトムラウシは意外に低く見え、オプタテシケや美瑛岳が雄大です。

深川の北洋銀行でキャッシュを補給してから、路傍のすすきの穂が遅い午後の光に輝く道を一路留萌へ走り、西に明日越える暑寒別岳のシルエットを眺め、やがて留萌から増毛への日本海沿いの道に入って日没近くに今宵の宿である民宿「新川」に到着しました。民宿のすぐ前は海。夕日が雲に隠れて一面青灰色にかげり、荒々しい波を海岸に打ちつけてきます。しかし宿の夕食は、そんな厳しい自然から採れるさまざまの魚介類で食卓に器の置き場もない程です。早速ビールで乾杯してから毛ガニやら刺身やら煮魚・焼き魚、その他諸々と格闘。増毛の地酒「クニマレ」でほろ酔い加減となり、今夜もまた腹いっぱいで動けなくなってしまいました。

2001/09/24

朝5時にカト車で山あいに入ったところにある暑寒荘まで送っていただき、ここでカト・スー両氏とお別れ。ここから雨竜沼湿原までコースタイム10時間のところを実働8時間で抜けるのが目標です。というのも今年は例年になくヒグマの事故が多く(ヒグマ・人間両方に死亡被害が多発しています)、極力スピーディーに危険地帯を抜ける必要があるからです。身につけたクマよけの鈴を鳴らしながら長い尾根道を徐々に高度を上げ、時折振り返ると増毛から留萌への海岸がよく見えます。やがて道は雲の中に入っていき、展望のない山頂を踏んで南暑寒岳へ縦走しました(山行の詳細は〔こちら〕)。結局実働で1時間半程度の時間短縮になりましたが、幸いにもヒグマに会わずに下山することができました。「幸いにも」とわざわざ書いたのは、後日カト氏からのメールにより、この日二合目でヒグマが目撃されたことを知らされたからです。

南暑寒荘で管理事務所に立ち寄りタクシーの手配を頼もうとしていたら、ちょうど居合わせた地元のおじさんが「乗っていくかい?」と声を掛けてくれたので厚意に甘えることにしました。雨竜町まで送っていただき、別れ際にお礼状を送りたいからと名前と住所をたずねたが固辞されてしまいました。おじさん、ありがとう!雨竜町に着いたのは15時半頃。次のバスまで45分ほども時間があるので、温かい肉まんでも買おうと近くのコンビニに入りましたが、ふと目についた「りんご果汁と蜂蜜入りビーフカレーまん」を買ってしまいました。バスの待合室で雨をしのぎながらこのまんじゅうを食べましたが、確かにカレー味の中にほんのり甘味があって不思議な味でした。ほかに「とろーりチーズがとろけているピザまん」というのも売っていましたが、こちらにはちょっと手が出せませんでした。

バスで30分程で滝川到着。特急ライラックで札幌に移動し、駅の観光案内で「安いホテルを手配して下さい!」と頼むとシングル一泊5,000円のホテルを紹介してくれて、そこに身を落ち着けました。さて、私にとって札幌の楽しみというと、ラーメンでもススキノのお姉さんたちでもなく、エスポのサウナです。宿の1ブロック隣に目ざとくこれを見つけていた私は、とりあえず地下街で軽い夕食をとってからサウナに入りました。ゆっくりと汗を流してから湯舟で身体を思いきり伸ばし、さらにソルトマッサージを頼んで身体中つるつるになってホテルに戻り、テレビを見ながら自販機で買った夕張メロンのシャーベットを食べると、もう極楽としかいいようがありません。やがて睡魔に負けて、いつの間にか眠ってしまいました。

2001/09/25

今日は東京へ帰る日。飛行機は夜遅くの便で、天気もあまりよくはないので、一日札幌見物をすることにしました。北海道には何度も来てはいるのですが、考えてみるとまとまった時間をとって札幌を歩いたことがありません。そこで、まず藻岩山のてっぺんに上がって札幌の全体を眺めてから、主だった観光スポットを見て回ることにしました。大通りの少し南から市電に乗って藻岩山の近くで降り、ロープウェイとリフトを乗り継いで藻岩山山頂の展望台を目指します。

ロープウェイが高度を上げる途中から驚いていたのですが、ここからの眺めは最高です。標高はわずか531mながら札幌の市街の全容を見下ろすことができ、さらに北は昨日歩いてきた暑寒の山々から、正面奥には雲間に大雪の山、夕張山地、さらに日高方面の山まで見通すことができます。また南西方向には今日晴れなら登ってみようと思っていた樽前山も見えています(恵庭岳は雲に隠れていました)。もともと藻岩山のアイヌ語名称が「インカルシペ=いつもそこに登って眺望をする所」だというのも納得です。

大展望にすっかり満足してから下界に戻り、今度は大通公園名物のテレビ塔に登りました。なんとかと煙は高いところに登りたがるといいますが、私も多分にその気があってタワー類にはついふらふらと惹かれてしまいます。高さ90mの展望台からの眺めもなかなかのもので、空気がいたってきれいなのに感心してしまいました。

1階でレンタルサイクルを借り、係のおじさんに「古い建物を見たいんですけど」とオーダーして順路を教えてもらってから出発。まず、もともと市の北部の官庁街と南部の一般市民居住地とを分ける防火帯であったという大通公園をずーっと西の端まで走って札幌市資料館に行き着きましたが、今日はあいにく休館日。ここから明治13年に開拓使が貴賓接待所として建てた和洋折衷の清華亭に立ち寄り、さらにすぐ近くにある北大の構内に入って、クラーク博士と新渡戸稲造の胸像やポプラ並木を眺めながら、昔の記憶を呼び起こそうと緑の美しい広い構内を自転車をあちこち走らせました。

もともと初めて北海道に渡ったのは大学の2年生のとき。クラブの遠征で2日間の試合に参加した後、同期の友人の住む寮に泊めてもらいながら洞爺湖観光などをした覚えがあります。最後は生焼けのジンギスカンでお腹をこわし、ほうほうの態で青函連絡船に乗ったのですが、その思い出深い初渡道の際に北大構内も歩いているはず。しかし、何となく覚えのあるようなないような光景が続きはするものの、決定打をつかむことはできませんでした。その後はテレビ塔と共に札幌市街観光三種の神器と言える北海道庁旧本庁舎=赤レンガや時計台を見てから、自転車を返しました。

最後はバスでサッポロビール園へ移動。14時頃から予報に反して青空が広がって暑くなってきたので、かっこうのビール日和です。時間も早くまだ閑散としているビール園でジョッキ片手に思う存分ジンギスカンを食べ、今日もまたすっかり食べ過ぎてしまいました。ここのところ狂牛病問題が世間の関心を集め、特に畜産が重要な産業である北海道にとっては大問題ですが、ラム肉なら狂牛病とも無縁のはずです。

駅のコインロッカーに預けていたザックを回収して新千歳空港へ。職場へのお土産に六花亭のストロベリーチョコを買い、楽しかった4日間の旅を反芻しながら機上の人となりました。