蝦夷

2002/04/06

高橋崇氏の中公新書『蝦夷』『蝦夷の末裔』『奥州藤原氏』を読了。

古代東北の民は、東北地方南部に造営された古墳の存在から既に4世紀に中央政権との関わりを持っていたことが知られていますが、筆者はまず『蝦夷』において古代東北地方北部の住民を4〜5世紀頃に北海道から南下してきたアイヌととらえた上で、7世紀以降北進を活発化させた大和朝廷とのかかわりの実情を、アテルイと坂上田村麻呂の戦いで有名な「38年戦争」をクライマックスとして解き明かしていき、並行して数多くの『蝦夷』が西日本各地へ移住させられていった様子を振り返ります。ついで『蝦夷の末裔』では11世紀の前九年・後三年の役にスポットライトを当てて、陸奥の北上川中流域を支配した安倍氏の興亡とその後を襲った出羽の清原氏の没落を、『奥州藤原氏』ではこの両役を生き抜いて奥州に覇権を確立した藤原三代の繁栄と源氏による奥州合戦での滅亡を描きます。

史料の絶対的な不足から著者の筆致には慎重な部分が極めて多いものの、それでもこれらの著述を通じて、畿内の朝廷が東北地方において行政的にはついに西国と同じレベルでの統治を確立し得ていなかったという実情が伺えます。蝦夷が帰化して浮囚と呼ばれるようになると、彼等には税の減免措置や食料や衣服の支給が行われ、やがて彼等の中から安倍氏や清原氏といった権力者が生まれるとこれを金や馬などの東北の特産品の徴収(交易)機関として活用しますが、その安倍氏が中央政権による収奪を否定し、支配地域を南下させようとしたところに安倍氏を滅ぼすことになる前九年の役が発生します。後三年の役の後に安倍・清原両氏の後継者となった藤原氏は中央政権の担い手であった藤原氏の一族の後裔ではあるものの、同時に安倍氏の血を濃くひいています(藤原三代の始祖・清衡の父は藤原氏、母は安倍氏)。この間の東北地方の動静は都の貴族の日記などにしばしば描かれていますが、その関心事は砂金と馬が滞りなく京送されてきているかどうかが中心で、源平の対立の中で政治・外交上の必要から平家が藤原秀衡を鎮守府将軍・陸奥守に任命したときには「奥州夷狄」の秀衡をかかる地位につけるなど「天下の恥」であると嘆いているくらいですから、都人の奥州に対する見方は数百年来一環していたとも言えるかもしれません。ちょっと邪道な読み方かもしれませんが、かつて京都に住んでいたこともある身としては、この京都と東北との関係に関する記述がけっこう面白く、なるほどあたかもブラックホールのように各国から富を吸いあげ、消費することによって発展した京都の経済と文化の一端は東北地方の産金力が担っていたのでしょうし、その代償措置が事実上の自治権の承認であったのかもしれません。それだけに、奥州合戦で平泉の藤原氏が滅ぼされ、同時に鎌倉の武家政権による統治の仕組みが確立したとき、京都にとってその経済面でのインパクトがどれほどのものであったのか知りたいような気もしてきます。

余談ながら、私は自宅でテレビを見ることがほとんどなく、わずかな例外が日曜日の夜のNHKの大河ドラマと「青春のポップス」でした。大河ドラマは長年のファンで、ことに1993-94年に放映された「炎立つ」は前九年の役から後三年の役にかけての時代と1世紀後の奥州藤原氏滅亡とを描いていてなかなか骨太で面白かったのですが、今年の大河ドラマは2回程眺めたもののどう見ても学芸会に毛の生えた程度にしか思えず、おまけに「青春のポップス」も3月末で終わってしまったので、とうとう4月に入ってからは一度もテレビをつけていません。