失敗

2003/06/09

前々から読みたいと思っていた『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』を、文庫本で読みました。この本は、ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦の六つのケースをとりあげ、その失敗のプロセスを丹念に跡付けながら、そこに共通する日本軍の戦略・組織上の失敗要因を抽出するものです。

その内容を詳細に紹介することは避けますが、要するに日本軍の失敗の本質は、環境の変化に合わせて自らの戦略や組織を主体的に変革することができなかったということ(文庫版あとがき)であると指摘されています。近代史に遅れて登場した日本が日露戦争での成功体験によって得た「白兵銃剣主義」「艦隊決戦主義」に、第一次世界大戦に参画しなかったことによって修正の機会を得なかったがゆえに過剰に適応し、そのことによって環境適応能力を失ったという分析は、極めて説得力があります。実際、ノモンハン事件での関東軍の突出やインパール作戦でのあまりにも杜撰な作戦遂行には、情報と兵站の軽視という陸軍の前近代的な体質と、その修正を阻む情緒主義・組織融和主義とがはっきりとかたちを示していますし、レイテ海戦における栗田艦隊の有名な「謎の反転」にしても、本土と南方の間の補給路を防衛するために米軍のフィリピン上陸を防ぐという戦略目的を見失って(実際には存在しなかった)敵機動部隊との会戦を求めたための転進でした。

それにしても驚いたのは、ノモンハン事件の立役者であった参謀・辻政信少佐も、インパール作戦で数万人の兵士を死に追いやった牟田口中将も、連合艦隊が潰滅的な損失を被りつつもあと一歩に迫ったレイテ湾を目前にして引き返した栗田長官も、結局その責任を明確にとらされることのないままに終戦を迎え(そして戦後20〜30年間を生き長らえ)ていたという事実。なにをかいわんや……。

ここからしたり顔で自分に引き寄せた教訓を開陳するのは趣味ではないのでおいておくとして……それぞれのケースを読んでいくうちに、安彦良和の名作『虹色のトロツキー』の主人公のノモンハンの原野での悲哀に満ちた最期や、吉村昭の『戦艦武蔵』のシブヤン海での壮絶な戦闘描写を連想しましたが、何よりインパール作戦ではミャンマーへの2回の旅で訪れた日本人慰霊碑を思い出し、またビルキチの血が疼き始めてしまいました。