完走

2004/08/28

あの日経新聞ですら、アテネオリンピックの話題に相当の紙面を割いている今日この頃。

オリンピックの標語はご存知の通り「より速く(Citius)、より高く(Altius)、より強く(Fortius)」で、これはもとはといえば、ある学校のラグビー選手たちに与えられていた言葉がオリンピックに取り入れられたものらしいのですが、素直に読んだ語感としては「走る」「飛ぶ」「投げる」といった、「アスリート(トラック競技者)」の活動にふさわしい言葉であるように思えます。そこで思い出すのは、先日スイスへ行ったときのこと。テレビで欧州の陸上競技選手権らしき大会を放映しているのを観たのですが、巨大な競技場の客席を埋め尽くす観衆の声援の大きさや、ゴールした選手たちがサイン攻めにあう様子からは画面のこちら側にも会場の興奮が伝わってくるようで、ヨーロッパでは陸上競技がいかにメジャーなスポーツであるかということがひしひしと感じられました。アスリートに対する尊敬の度合いが極めて高いのです。

だからといって野球をはじめとする団体競技や柔道のような対人競技、あるいはシンクロナイズドスイミングのような芸術性を要素とする競技の意義を云々するつもりはありませんが、先人の記録が後に続く者に塗り替えられることの繰り返しの中で人間の能力の限界を押し拡げてきた個人競技に、より惹かれるものを感じるのも事実。そういえばフリークライミングにもそうした要素が色濃くあり、チッピング(岩に人為的な工作を加えてホールドとするなど)が反倫理的な行動とされるのも、たとえ今のクライマーには登れなくても後の世代に可能性を引き継いでいかなければならない、という発想があるからです。

……などと感慨にふけっているところに目にした、恐るべきニュース。

杉田かおる、100キロ・チャリティーマラソン完走っ!

我々の世代は、高校の部活が終わると「ちぃ坊を(再放送で)見るためにもう帰らなくては♪」などと言いながら嬉々として帰路についたものですし、その後長じて映画『青春の門』や篠山紀信の写真集でのまぶしい姿に恥ずかしながらくらくらときて、しかし今では「あの杉田かおるがあんなふうになっちゃうんだからなぁ」とため息をつきつつ生ビールのジョッキを傾けるという、奇妙なシンパシー(?)を彼女との間に維持し続けている世代なわけですが、それにしてもおよそアスリート体型とは思えない彼女が、いくら自ら公言したように「酒と男を断って」臨んだからといって、付け焼き刃で走りきれるほど100キロという距離は甘くはありません。もちろん、ゴールインまで25時間15分かけたといいますから途中では休みもとっているでしょうし、万全のサポートもあったと思うのですが、それでも凄いこと。距離ももちろん長いし、そもそもこの暑い季節に都心を走るだけでも相当な消耗を伴うはずです。

そうなると事前のトレーニングではそれなりの綿密なコーチングがあったと想像されるわけで、そのコーチにとっては杉田かおるに100キロを完走させるのはオリンピックに選手を送り込む以上の困難を伴ったのではないかと勝手に想像したりするのですが……果たしてどうだったのでしょうか。