弟子

2006/12/01

先日、谷川岳から八ヶ岳へ転進したときに、手元にトポがなかったために茅野の書店に立ち寄って『チャレンジ!アルパインクライミング』を立ち読みしながらトポを書き写すという悪事を働きました。といってもそれだけではさすがに書店に申し訳がないので、せめて文庫か新書の一冊でもと物色して買い求めたのが、『ブッダは、なぜ子を捨てたか』(山折哲雄)。その後なかなか手にとる時間がなかったのですが、最近ようやくまとまった時間を作って読了しました。

前半はブッダの出家=家出が親捨て・子捨てであったというあたりから人間ブッダの姿を解き明かし、それが時空を隔てて日本に伝わる頃には生身のブッダの姿や思想は失われ、ブッダの教えに含まれていなかった「来世」が信仰の中心に据えられる変容のさまを述べています。ちょっと情緒的で構成の緊密さを欠く部分も見受けられる本ではありましたが、これはこれで興味深く読みました。しかし著者には申し訳ないながら、この本の内容自体よりも途中で出てくる釈迦の十大弟子の名前・目犍連(もくけんれん=モッガラーナ)から唐突に光瀬龍の代表作『百億の昼と千億の夜』を思い出してうれしくなってしまい、久しぶりに書棚からハヤカワ文庫を引っ張り出すことになりました。

『百億……』の中で、出家を決意した悉達多太子は目犍連ら4人のバラモン僧に連れられて兜率天を目指します。その途上、熱的な死に瀕し荒涼とした忉利天の姿を目の当たりにして、太子は衝撃を受けます。

「なに故か?目犍連さま。六欲天の第二天、すなわち、人界を絶するこの天の世界にそのような破滅の翳を見るとは」
「四王天の上方、第四象限、虚数座標二より三に至る空間のひずみがその原因と思われます」
「空間のひずみが!」

同行している摩訶迦葉も、説明を補います。

「断熱変化なのです。忉利天空間の膨張にともなって、熱の急速な拡散がおこっているのです」

高校生の頃に初めてこのくだりを読んだときは、うーむ、さすが数学発祥の地インド、紀元前500年にしてこの会話か!と大いに感心したものですが、読み返してみていかにも光瀬龍というスケールの大きさに改めて感動するとともに、これを見事にマンガ化した萩尾望都版も素晴らしかったことを思い出し、早速Amazonに発注してしまいました。