反米
2009/03/12
一昨年末のグアテマラ旅行の際に知ったかつてのユナイテッド・フルーツ社による収奪、昨年のメキシコ旅行のときに学んだ米墨戦争でのメキシコの悲劇。そして、この文脈の中で最近見た映画「チェ」2部作に描かれたCIAの策動……とまあ、このところの私の中南米とのつきあいは、そのままアメリカ合衆国による中南米支配の歴史の再認識につながっていたのですが、その辺りをまとめて書いた本はないかな(中南米近現代史はエアポケットだったので)と探してみたところ、手頃な新書で私のアンテナにひっかかったのが、伊藤千尋著『反米大陸―中南米がアメリカにつきつけるNO!』(2007年)です。あまりにもベタなタイトルに少々びびりつつも、電車の中で読み進めました。
9.11といえば、アメリカ人は2001年のテロのことしか頭にないが、南米チリの人々は、1973年のこの日を思い起こす。民主主義の選挙で生まれた政権が、軍部のクーデターで倒され、長期にわたる軍事独裁が始まった日だからだ。クーデターを背後で操ったのは、アメリカの中央情報局(CIA)であり、資金を出したのはアメリカの企業だった。このときチリの人々にとっては、アメリカこそがテロの黒幕だったのだ。
という(映画『サンチャゴに雨が降る』で有名な)エピソードから書き起こし、米墨・米西両戦争での新大陸における覇権の確立、キューバやパナマの属国化、ニカラグアとホンジュラスを舞台にしたイラン・コントラ、グレナダ及びパナマへの直接侵攻の歴史と、それらの背後にいる米軍アメリカ学校人脈の恐ろしさが、これでもかというくらいに描かれていて、この本を読むと歴代アメリカ大統領が、あのチャベスがブッシュを指して言ったように「悪魔」だと思えてくるほど。
とはいうものの、最終章「立ち上がった中南米」がキューバ革命の紹介では今どき説得力がありませんし、全編を通じての扇情的な筆致と筆者の個人的体験を歴史認識に敷衍する手法は、よくも悪くもジャーナリスティック。ちなみに筆者のプロフィールを見ると、元朝日新聞社中南米特派員とあります。うーん、なるほど。
というわけで、ウラをとる意味でアカデミック寄りな本(でもやっぱり新書)として続けて読んだのが、増田義郎先生の『物語ラテン・アメリカの歴史―未来の大陸』(1998年初版)です。
こちらはいきなりゴンドワナ大陸から話が始まって「しまった、いくら何でももう少し対象を絞り込んだ本にすればよかった」と一瞬後悔したのですが、しかしこれはこれで、スペイン植民地時代の中南米統治の実態が豊富な統計データを駆使し明晰に解説されていて、大変面白く読み進めることができました。そして、この本でのアメリカ合衆国による中南米への関わりに対する叙述を見ると、
アメリカのカリブ海、中央アメリカに対する強圧的な態度は、現在でも改まったとはいえない。たとえば1989年に、パナマのマヌエル・ノリエガ将軍を嫌って武力干渉したことはわれわれの記憶に新しいが、そのほかにも、65年、ドミニカ共和国のキューバ化を恐れておこなった派兵、83年、小アンティル諸島のグレナダの左傾に対抗するための派兵、レーガン政権がニカラグァのサンディニスタ政権に対抗する「コントラ」グループに対して与えた援助など、枚挙にいとまがない。
といった具合で、慎重に「善悪二元軸での論評」を避けてはいるものの、基本認識の部分では上記『反米大陸』と大差ありませんでした。なるほどねぇ……アメリカって……いや、だからどうするというわけではないのですが、しかし旅行前にここまで勉強しておいて、現地の人に自国の歴史についての率直な意見を聞いてみればよかった。
ところで、映画『チェ 28歳の革命』にも描かれたキューバ革命についての、この二つの著作の記述の対比は、なかなか興味深いものがありました。『反米大陸』が、革命の成果をバラ色に染め上げて記し、キューバの未来についても楽観的であるのに対して、増田先生の本ではキューバ革命は、政治的、経済的にみれば、社会主義革命をやりさえすれば全ての問題が一挙に解決する、という楽観主義の夢を打ち破ったといえよう
と一種シニカルに記しています。ただし、それまでの狭量な一国ナショナリズムの殻を破って人々はラテン・アメリカ全体の問題を意識し、またそのなかに位置づけて自国を見るようになった
という思想的、精神的なインパクトがキューバ革命の意義であったというのが増田先生の評価。これを聞けば、革命の直接的な輸出を志向して挫折しボリビアに客死したチェ・ゲバラも、あるいは浮かばれるかもしれません。