弓禅

2011/11/05

先月亡くなったSteve Jobsが読んでいたという『弓と禅』(オイゲン・ヘリゲル著)を、私も取り寄せて読んでみました。

著者は、1924年から29年まで東北帝国大学講師として哲学と古典語を教えたドイツ人哲学者。若い頃からの神秘主義への関心の延長線上に禅への興味を抱き、来日してしばらくすると禅を学ぼうとしたものの、いまだかつてヨーロッパ人が真面目に禅をやろうと努力したことはないし、また禅そのものは、「教え」のほんのかすかな痕跡でさえも拒否するものであるから、禅が私を「理論的に」満足させるなどと期待することはできないという周囲の諫止に出会います。それでも根気づよく自分の希望を通そうとした著者に対して、人びとはこう言いました。ヨーロッパ人にとっては、このおそらく異様極まる東洋人の精神生活の領土の侵入しようとしてもできる見込がない――ただし禅と関係している日本的な芸道の一つを習得することでもって始めるのは別であるがと。

それが、弓道でした。

西洋的論理思考の持ち主である著者の苦闘は、稽古の初日から始まります。高く捧げ上げた弓を引き絞りながら肩の高さまで下ろす動作を全身の筋力を使わなければ行えない筆者に対し、師範は両手以外の筋肉はどこまでも力を抜かなければならないとダメ出し。最初の試練に対し、何か技術的なコツが必要なのだと無駄な努力を重ねる筆者に対して師範が教えてくれたのは「一切を忘れて呼吸に集中すること」でした。ようやく最初の関門を克服した筆者を次に待っていたのは「放れ」。何カ月も続く効果のない稽古に倦んだ筆者は、姑息なコツを自分で発見して得意になりますが、それを見た師範に手厳しく咎められます。大学の同僚のとりなしで辛うじて破門を免れた筆者のいったい射というのはどうして放されることができましょうか、もし「私が」しなければという問いに、師範は「それ」が射るのですと答えます。ではこの「それ」とは誰ですか。何ですか。ひとたびこれがお分かりになった暁には、あなたはもはや私を必要としません。そしてもし私が、あなた自身の経験を省いて、これを探り出す助けをしようと思うならば、私はあらゆる教師の中で最悪のものとな……るでしょう。ですからもうその話はやめて、稽古しましょう。この師範の言葉の中に、本書のエッセンスが含まれています。弓を引くという行為の中から自己を忘れること、そしてその体験を師範の言葉による導きによってではなく、稽古の繰り返しを通じて自分自身の内面から獲得しなければならないということ。それでも最後に残されていた関門である「中り」へのこだわりを、夜の道場に筆者を呼んだ師範が暗闇の中で二矢続けて的の黒点に的中させるという神業で打ち砕くと、ついに筆者は私の矢や、それがどうなったかについて心を煩わす誘惑から解放されます。

本書はところどころに極めて難解な表現からなる筆者の独白が散りばめられています(翻訳の問題ではなく原文自体が難解である模様)が、そこを我慢して読み通せば、6年間に及ぶ弓道の修練の中でそのときどきに筆者が感じた困惑や、その筆者に対して師範から与えられた言葉がありのままに記されており、現代的な合理主義の感覚を身に着けたいまの読者にとっても、弓道の本質に対する筆者の理解が深まってゆく過程を追体験しやすいものとなっています。『弓と禅』というタイトル(原題は『弓道における禅』)のとおり、筆者の考察は最後に剣道を含む日本の諸芸道にまで広がり、その深奥に横たわる禅の精神に向かっていて、Steve Jobsもそこに関心を持ったのだと思いますが、自分としてはむしろ、日本人師範=阿波研造師とドイツ人哲学者である弟子との交流の記録としてしみじみと読み進めました。

弓道の奥義を自らのものとし、段級審査で五段の高みに達した筆者が帰国のときを迎えたとき、師範は自分の最もよい弓を筆者に手渡し、はなむけとします。この弓が寿命を終えたときは、記念に保存しようとはせずひとかたまりの灰の外は何も残らないようにそれを葬って下さいと言い添えて。しかし、その弓は第二次世界大戦が終わった後にドイツに進駐してきたアメリカ軍によって没収されてしまい、筆者も1955年にそれまで書きためてあった膨大な原稿を火に投じた後に病死します。本書の巻末には、筆者の東北帝国大学での同僚で、師範との仲をとりもった小町谷操三氏の「ヘリゲル君の墓に詣でて」という小文が載せられていますが、これが泣かせます。

墓石の前には、あたかも遺骸を被うように、一面、樅の葉の毛氈が敷いてあり、それに初雪が降りていた。すがすがしい山岳地帯の朝の空気につつまれながら、静まりかえった墓地のなかで、しばし瞑目、日本の友人たちに代って彼の冥福を祈った。しかし私はとうとう、墓石の右角につかまって、“どうして待っていてくれなかったのか”とつぶやいた。とたんに墓石も、樅の毛氈も、それに差込んだ草花も、夫人の顔も、涙で見えなくなってしまった。