評価

2013/06/23

山口利昭弁護士の『法の世界からみた「会計監査」』を読了。著者は、企業法務に外部専門家として関わる立場から内部統制や監査制度、コンプライアンス問題などに関して豊富な知見を発進し続けるブログ「ビジネス法務の部屋」のオーナーとして著名で、私も長らくこのブログを愛読しているのですが、この本もそのブログでの記事とそこでの読者とのコメントのやりとりなどを素材にしつつ、弁護士と公認会計士がシナジー効果を発揮するために乗り越えなければならない「ミゾ」を明らかにしようとしたものです。

本書の冒頭で論じられるのは、おそらく誰もが(少なくとも私は)未だに理解に苦しんでいる「期待ギャップ」論。会計不祥事が明らかになると、それまで決算書に適正意見を出していた会計監査人が不正を発見できなかったことの責任を法的に追及されることがありますが、不正発見は会計監査の本来の目的ではなく、決算が適正に作成されているかどうかについて会計監査人としての一般的な注意義務を尽くして監査を行っていれば任務懈怠には当たらないということになります。この「会計監査人はなぜ不正を見抜けなかったのか」という世間の期待と会計監査制度の意義とのずれが「期待ギャップ」という言葉で表現されます。著者は、この期待ギャップを解消して正当な社会の期待(合理的な期待)を形成する努力を公認会計士に期待していますが、この問題の根底には、会計監査制度の本旨ということもさることながら、限られた監査報酬=監査リソースの中でリスクアプローチに基づきポイントを絞り込んだ監査を行うことを余儀なくされている現状では、会計監査人に遺漏なき不正発見を義務づけることは困難という発想もありそうです。有価証券報告書には監査報酬の額も開示情報として記述されていますから、期待ギャップは投資家サイドの自助努力不足の責任を会計監査人に転嫁しようとするものと言えなくもなさそうですが、そう言い切るためには投資家が監査深度を推し量るための情報としてこの監査報酬額だけで足りるのか、他にいかなる情報開示が求められるのか、という議論が必要となるように思いました。

以下、依頼者の利益を代弁することに最大限の努力を払いつつ最後の判断は裁判所に委ねる弁護士(明らかに罪を犯している被告人の場合には、弁護人によるそうした努力が払われてもなお裁判所が有罪と認定した、という事実こそが大事)と、依頼者=会社の向こう側にいる真の依頼者=投資家・債権者を意識しながら最終判断を下すことを求められる会計士との違いを見据えながら、守秘義務のあり方やセカンドオピニオンの有無が論じられ、あるいは、かつての国家権力による事前規制社会から企業活動の自律性を尊重しつつルール違反には厳罰をもって対処する事後規制社会へと世の中が変わり、明示的な成文規範ではなく消費者による評価(レピュテーション)などのいわゆるソフトローの重要性が増す中で、弁護士や会計士が果たすべき役割についての提言がなされたりしています。

そのほかにもインスパイアされる記述が随所にありましたが、とりわけ印象に残ったのは、粉飾決算をめぐる企業行動を分析した章。この中で、世間の評価は不祥事そのもの(一次不祥事)よりもそれを見逃し放置した企業風土(二次不祥事)に向かうのであって、その評価の恐ろしさは過去の行動に対するペナルティとしての意味ではなく、将来の企業価値に向かうところにあると記されていますが、まさにその通り。ペナルティなら償いようがありますが、企業価値を否定されてしまっては、たとえばかつてのスノーブランドのように解体を余儀なくされてしまいます。

日頃筆者のブログを愛読していることも自分にとっての助けとなってはいますが、読み易い文体ですいすいと読めてしまいました。ただし、ここから出来合いの結論を引き出そうとするのはこの本の正しい読み方ではなく、読者自身のリアルな問題意識に引き寄せて参照し、自分なりの行動規範を固めてゆくための触媒として活用するのが良さそうです。