勉強
2013/06/23
夕方から、飯田橋のホテルメトロポリタンエドモントで大学時代の恩師(ゼミの指導教官)=菅野和夫先生を囲む会。趣旨としては、10年ぶりのゼミ総会と、先生の古稀と受勲(瑞宝重光章)のお祝いを兼ねたものです。
私が先生のゼミに参加したのは4年生のときで、3年生まで洋弓部での活動が忙しくろくに勉強もしていなかったため、せめて最後の1年くらいはまともに勉強をしたいとゼミに入ることを決意したとき、その前年に受講した先生の労働法の講義がスタイリッシュなまでにロジカルであったのを思い出し、門を叩いたのでした。この頃は先生はまだ体系書を出しておられず、その代わりに講義録が生協の書店で売られていて、これは他の大学の学生もわざわざ買いにくるほどの人気であったと記憶しています。それくらい人気の先生は、私がゼミを受講した数年前に最初の著作『争議行為と損害賠償』を世に問うてそれまでの労働運動べったりの労働法解釈にきっぱりと楔を打ち込んだ気鋭の学者でしたが、実際にその謦咳に接してみると、朴訥なまでに穏やかな表情と口調で学生を親身に指導される、実に優しい先生でした。
そのときのゼミのレジュメやノートは今でも手元に残っていますが、読み返してみるとレジュメへのこまごまとした書き込みや復習ノートの充実ぶりに、いかに当時の自分が一所懸命勉強していたかがわかって、とても今の怠惰な自分と同一人物だとは思えません……。
で、そのとき私が与えられたテーマは労働組合法をベースとした「救済命令の限界」というもので、不当労働行為の救済における労働委員会の裁量権の範囲を「バックペイと中間収入の控除」「抽象的不作為命令」「条件付命令」「昇級・昇格差別に対する救済命令」という四つの事案に係る救済命令取消請求事件の判例の中から見出そうというものでしたが、ゼミでの発表の後に完成させて提出したレポートに付された先生のコメントを後日先生の研究室で拝見すると、力作だが物足りない
と一刀両断だったことを覚えています(笑)。
懐かしいゼミ同期や労働省での同僚などとのひとしきりの歓談の後、頃合いを見計らって先生のところにご挨拶に伺ったところ、10年ぶりだというのに先生は私の顔を覚えていてくださって、私が差し出した名刺を見るなり「これは……名簿の勤務先と違いますね」。ここで先生が懐から取り出したこの日の総会の出席者名簿には、約110人の氏名がずらりと並んでいるのですが、そこには青いインクで先生自ら勤務先の書き込みがしてありました。先生はこうして、この日の出席者全員の近況を頭に入れて総会に臨まれていたのですが、そればかりか、歴代のゼミ生合計470-480人の7-8割は今でも名前と顔が一致するのだとか。そう、この底なしの誠実さと勤勉さが、先生の真骨頂です。
何人かのゼミ生代表からのスピーチのコーナーでは、先生の人柄を示すエピソードがいくつも披露されました。
- まだ先生が教授になられてさほど年数がたっていない頃、学生とコンパに行ってカラオケになると、先生は何を歌っておられるのか同席者にはわからなかった(←「音痴」だったということの婉曲表現らしい)が、その後中央労働委員会の会長になって労使の委員と酒席を共にする機会が増えると、カラオケも練習を重ねて何を歌っているか判別できるようになった。
- 先生は英独仏語にはもともと堪能だったが、国際労働法社会保障学会の会長になられたときにスペイン語も勉強し、中南米諸国の学者が多く参加した米国での学会ではスペイン語でスピーチをして喝采を浴びられた。
- このようにご自分がおできになることを、先生はなぜか他人も同じようにできると思われているフシがあり、「○○くん、これをやっておきなさい」と事もなげに言われて往生した。
最後のは、きついなー。
締めの先生のご挨拶では、ユーモアも交えながらゼミ生たちを励ますお言葉をいただきました。先生はそのダンディーな見掛けに似ず、寅さんシリーズが大好きで全巻揃えて持っておられるそうで、いつも卒業を控えた学生たちに話していた次の説諭を、私たちにも投げかけてくださいました。
- 変化の激しいこの時代、この大学を卒業したということは自分の将来に対する保証には決してならない。
- しかし誇れることが一つだけあるとすれば、それは皆さんが「学ぶ」ということに長けているという点だ。
- 一所懸命学び続けて、苦境を乗り越えていきなさい。
- それでもだめなときは寅さんを観て、「なぜ自分が」と思う苦労も結局は「自分のため」なのだと考えを改めなさい。
寅さんシリーズにそのような深淵な哲学が盛り込まれていたとは露知らず、これまでの自分の不明を恥じるばかり。卒業後30年を経て、また一つ教わりました。
最後に全員で、唱歌「ふるさと」を歌ってお開きです。
兎追いし彼の山 小鮒釣りし彼の川 夢は今も巡りて 忘れ難き故郷 如何にいます父母 恙なきや友がき 雨に風につけても 思い出ずる故郷 志を果たして いつの日にか帰らん 山は青き故郷 水は清き故郷
お開き口では、先生が一人一人をお見送りくださいました。そして出席者全員にその場で配られた「御礼」と書かれた封筒を帰宅してから開いてみると、そこには先生のお言葉と梅雨日和 去りし学び舎 懐かしむ
との句と共に、図書カードが入っていました。この図書カードで本を買って勉強しなさい、ということですね……がんばります。
《すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ》
次のゼミ総会は、5年後とのこと。先生、それまで引き続き現役でご活躍ください!